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芦原道場の関西進出に於いて功績大の石井館長、「空手バカ一代」の二宮(のモデル?)こと二宮博明師範芦原道場関西の看板選手であった中山猛夫師範伊藤浩久師範
錚々たるメンバーが芦原道場を去った事情について、様々な憶測・噂が飛び交っていますが、真相を知る人に出会ったことがありません。

また、石井館長のプロフィールには必ず「極真会館芦原道場を円満退館」と書かれていますが、その割りに拳友会の中では「芦原会館と正道会館が一緒に練習してるのは内緒だゾ」と言う空気がありました。

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※出てスグ書店に買いに走りました!芦原道場時代のエピソード満載です。

唯一、当事者の証言が読めるのが2009年に石井館長が著した「空手超バカ一代」であります。詳しくは本を読んでいただきたいのですが、思いっきり要約すると、
◎石井館長が会社を辞め、空手指導に専念した時の芦原道場の月給は10万円であった。
◎暫くはガマンしたものの社会人時代より低い給料での生活が厳しく、意を決して芦原館長に値上げをお願いした。
◎結果、1万円上げてくれて11万円になった。
◎ところが芦原館長は、石井館長以外の関西地区の幹部に対し、「石井は金のことを言い出した。奴は危ないよ」と吹聴した。
◎納得いかない関西地区の幹部は、石井館長のその事を報告し、「独立して関西でやりましょう」と進言したが、石井館長は自分一人芦原道場を辞めた。

その後、いきさつを知る関西の支部長クラスが正道会館に移籍した、と言う感じですかね?
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これを読んだ時は
「そうだよな~中国地方まで空手教えに行って月給10万円じゃな~」
と思ったのですが…最近、ふと気になって調べてみました、当時の大卒初任給。ソースはネット検索で出たモノなので、正確度はいかがなモノか不明ですが、
昭和50年=大阪に芦原道場を開設した年 ¥83,600
この時はまだ空手専業ではなかったようですね。職員になった時期については記載がないので、年月毎に追っていきますと…
昭和51年 ¥94,300 
昭和52年 ¥101,000
昭和53年 ¥105,500
昭和54年 ¥109,500

う~ん、当時の水準から言うと月給10万って大卒初任給レベルだったようですね。それじゃあ悪い金額では無いような気も…。
石井館長は会社勤めの時はもっと稼がれていたようですし、当然ボーナスも無く、且つ「ケンカ十段」の下で働くには対価として妥当かどうか?とも思いますが。

ちなみに正道会館の誕生した昭和55年の大卒初任給は¥114,500となっております。この時期、石井館長中山師範に月給30万払っていた、と言う話が「一撃の拳」なる本に書かれていましたが、これは確かに破格!
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※松井館長の半生を書いた本ですが、石井館長について書かれた箇所も。

「ウチの職員になるならこれだけ出そう!」石井館長が片手を広げたのを見て月給50万か、と佐竹氏が思ったのも仕方ないか。
で、佐竹氏の給与は当初月額5万円だったとか。(佐竹氏の著書、「まっすぐに蹴る」より)
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※ある種暴露本?文体は聞き書きっぽいですが、書き手が暴走したっぽい(笑)

この金額、一方の言い分ゆえ、真偽のほどはわかりませんが佐竹氏が正道会館の職員となった昭和63年の大卒初任給は¥153,000だそうです。
by osaka-kenyukai | 2001-01-01 16:53 | 拳友会とは?