> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分 【場所】子育てプラザ福島 4階 軽運動室 詳細は入会案内へ! > フォロー中のブログ
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極真会館 第4回全世界空手道選手権大会
ついに佐竹選手が全日本王者となり、また正道会館が士道館全日本大会へ大挙選手を送り込んでカラテマガジンの大会公告に常勝正道軍団、東都初出撃!と書かれたこの年。いよいよ正道空手の名前が全国区になって行きます。そう言えば常勝軍団ってフレーズは、多分この公告が最初に使ったと思うんですが。
さて、ちょっと話が前後しますが87年秋に正道新人戦に初出場を果たした私、有り難いことに正道京都支部の打ち上げにK支部長から 「お前も出たんやから来いよ」 と声をかけて頂き、京都木屋町の居酒屋へ出かけて行ったのであります。当時の空手道場と言えば最近の傾向と違って女子・少年・壮年と言った層はあまり在籍しておらず、ほとんどが男子学生でありました。それでも豪快に盛り上がり、京都支部の誇る男前軍団が隣席のイマイチ盛り上がってない合コングループの女子(全然面識ない)と次回合コンの約束を取り付けて参りました。 「K先輩、あの娘たちと合コンOKです。」 「よ~し、良くやった。ほんだら2週間後にもう一回集合や!」 いやはや、凄いエネルギーです。 「東條~、次も来いよ(ニヤリ)」 は、はい、ありがとうございます! 道場生でも無いくせに、ちゃっかり2週間後の合コンにまで参加し、K先輩の下宿に泊めて頂いた私。その下宿で正道会館第1回大会のパンフレット(極真のとそっくり同じ!)や芦原館長がモデルを務めた「100万人の空手」などの貴重な書籍類を見せて頂いたのでした。 「やっぱり芦原館長のファンだったんですか?」 「ソレもあるけど、俺は伊藤師範やな。格好よかったからな。」 ※若大将ではありません、芦原館長です。 鉄ゲタ履いてます! 「それで正道会館に移った(残った?)んですか。」 「そうやなぁ。で、芦原会館の京都支部長やってるS君は芦原英幸に着いて行った形やなぁ。彼、芦原道場入門同期やねん。」 「えぇ~!じゃあ同期生がそれぞれの京都支部背負ってはるんですか!」 「まぁそう言うことになるなぁ。俺は励みになってるけどなぁ。」 後に年賀状に赤いペンで「寝ても覚めても○○○○」などと××マークと一緒に大きく書いてくるような非常識な人とは思えない深いぃ話。 一泊して京都⇒大阪へと戻り、阪急百貨店のコンコースを歩いていると偶然前から極真同好会リーダーが歩いて来られます。アルバイトに向かう途中ですが、時間が結構あるとのことで、お茶でもしようと言うことに。 前年は全日本大会にも出場し、城西の爆撃機と対戦。 「テレビ東京の中継はなぁ、KOシーン繰返して放送するから恥ずかしいわ」 と笑っておられます。今年は日本武道館で行われた世界大会を観戦に東京まで行かれたそうで。 結果は格闘技雑誌などで知っていましたが、結構「日本王座危うし!」「薄氷の勝利!」みたいな見出しが踊っていました。 「決勝とか危なかったんでしょう?」 「いやぁ、松井先輩は大丈夫やったよ。他の日本人選手だって判定厳しかったから負けたけど、全然強かったし。」 普段地味な選手が上段蹴りで外国選手を倒すなど、日本代表の気迫に感動されたそうです。 外国勢が初の決勝進出を果たし、フルコンタクト空手界に於いて一つのターニングポイントとなった当大会。極真(松井派)の機関誌、ワールド空手で後年再度特集が組まれたほどのインパクト有る大会でした。 数年後にK-1戦線で有名になった故・アンディ・フグ選手のカカト落としが初めて日本で猛威を奮った大会でもありました。 大会前、ヨーロッパ大会の決勝アンディ・フグ選手が対戦相手を前に前蹴上げの様に足を振り上げている写真がパワー空手に掲載されていて、 「ここから足を振り下ろしてKO勝ち」 「見たこともない大技」 と言うキャプションが。 (どんな技やねん?) 後にTV放映された映像を見てたまげました。 ※大技を出してもバランスが崩れないのが凄かったです。 従来の日本人発想では、あまりにもリスキーで実戦的ではないと思われる大技が見事に消化されていることは衝撃的でありました。 ※テコンドーです。当ったら死んじゃいますよね? TV放映は120分テープに標準録画と言う特別扱いで録画・保存しております。 (続く)
by osaka-kenyukai
| 2001-12-31 21:38
| 連載:拳友会遊戯
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