> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分 【場所】子育てプラザ福島 4階 軽運動室 詳細は入会案内へ! > フォロー中のブログ
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後は卒業を待つのみ…
「終わった…何もかも…」 最低な結果に終わった、最後の新人戦。力石徹の様につぶやいても前歯は戻ってこない。 ひたすら内定企業から招集がかからぬ事を祈りつつ歯医者に通う日々。 空手なんて二度とやるもんか!と試合後2〜3日はイジけていたものの、気がつけば8トレに空手着を着て立っている自分がいました。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶのだそうです。そういう意味で言えば、私は愚者そのもの。しかし、しかしですよ!バカはバカなりに経験から色々と学んで少しは賢くなった、とは思います。皆さんには、こんな私の歴史から賢者になるべく学んでいただけたら幸いです。 2回生の後半から京都から大阪までの通学経路を京阪電車から阪急電車に変更し、ミャ〜クンとよく一緒に帰りました。2人で漫才の掛け合いの様な話をしていると、向かいの席の知らない乗客が笑いをこらえている事も。 ある日、そんな2人の会話を遮るほど大きな声で喋っているオバチャンがおりました。しかも相手に喋る隙を与えぬマシンガントークで、京都⇒大阪間(当時の所用時間)45分ノンストップです。 「凄いパワフルなオバチャンやなぁ。さすが大阪や」 と感心しておると、十三でそのオバチャンが電車を降りました。 「○○ちゃん、また明日よろしくぅ!」 派手な帽子を被った、故・若井こずえ師匠でありました。 閑話休題。 卒業を控えたある日、帰りの阪急電車内でこんな会話をしたのを覚えています。 「例えば日本中の20歳代男子の強さの平均を50としたら、俺らは偏差値55ぐらいは行ってるよな。」 「そうやなぁ…いやぁ、60ぐらいは行ってるんちゃうか?(笑)」 決してエリートコースでは無かったけれど、空手やってよかったなぁ。拳友会でよかったと。 どんだけ時間かけてんねん?と、年が明けてからやっと差し歯も完成(半年後に抜けた…)しました。同級生からは 「おっ、歯治った?」 「うん、やっと生えて来たわ」 「へ~。」 って、生えるワケないやろ!サメじゃあるまいし。 当時、人気絶頂だった新生UWFが12月、大阪にやって来ました。今で言うプラチナチケットでしたが、クロベェ先輩とそのお友達が私の分までチケットをゲットしてくれて観客として初めて(笑)プロレスを観に行きました。 メインは高田延彦VSボブ・バックランド。当時、ガチの真剣勝負プロレスとの触れ込みでしたが、実際観た感想は 「………?」 そういえば、開場前に入口で大仁田厚とUWF神社長の 「社長さんよぉ、前田選手に挑戦状持って来たんじゃ。入れてくれよ。」 「大仁田さん、チケット持ってますか?」 と言う伝説の門前払いシーンを間近で見ましたっけ。 必修科目が一教科残っており、ドキドキの成績発表でしたが何とか無事卒業が決定。 最後の春休み、社会人生活に備えて勉強を…なんて気はサラサラなく、 「就職すれば自由な時間など無くなってしまう」から今のうち、とばかり惰眠をむさぼり、ビデオを借り、くだらない雑誌を読み… そんな中、2回ほどミャ~くんと連れもって関西本部へ最後の出稽古へ。と言うか、昼間から夕方にかけて自主トレしに行っただけなのですが。4年前の夏、ビビリながら初心者コースに参加していた我々も今や腰には茶金(いや、オレンジか?)色の刺繍もまぶしい真新しい黒帯が巻かれております。結果は揃って負傷退場ではありましたが秋の新人戦の練習成果がまだ身体には残っていた様で、キックミットを蹴れば 「結構いい音するや~ん」 ウエイトスペースでベンチプレスやれば 「100㎏挙がるや~ん」 そして手には赤錆がいっぱい。 道場にいた外国人道場生から 「2人とも凄いですね~」とおだてられ、いい調子で難波道場を後にしたのであります。 そして大学での練習最終日。例によって映るンですを手に、8トレに向かいました。体育館全体が妙にガランとして寂しく感じられます。 退出時間ギリギリまでラオウ、既に留年が確定したアラタと三人で最後の練習をしました。 お世話になった体育館の管理人のおじさんにお礼を言い、体育館を後に。 教室よりも何倍もの時間を過ごした体育館も今日で最後。 「これで一生空手着を着ることも無いやろなぁ」 などと少し寂しく思いながら家路に着いたのでありました。 (続く)
by osaka-kenyukai
| 2001-12-31 21:23
| 連載:拳友会遊戯
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