> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分
【場所】子育てプラザ福島
4階 軽運動室
詳細は入会案内へ!
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> ③ 社会人 正道会館全日本大会を観戦す!
入社から半年ほど経過しました。

ある時、上司から次月の勤務シフトについて
「おい、来月の日曜に休みたい日は無いか?」
と聞かれました。
「いえ、そんな1年目だし、希望なんてないです。」
と答えたところ、ちょっと上司の目が釣り上がりまして
「あのなぁ、1年目とかそんなの関係ないんや。用事や、やりたい事があったら我慢する必要はない。誰かが交代で出ればええだけやないか。それがチームや!」

確かこんな主旨のお言葉を頂きました。
そう言えば来月は正道会館の全日本大会。職業柄、日曜開催のイベント参加なんて無理と思っていましたが、思い切って言ってみました。
「え~と…じゃぁ10月1日休ませていただきたいですが…」
「ほら、希望あるやないか(ニヤリ)ええよ。で、何の用事なんや?」
「え~と、空手の全日本大会がありまして…」
「おお!そう言えば自分(お前、の意)空手やっとったんやな」

という事でめでたく日曜公休をいただき、就職を機に途絶えると思っていた正道会館全日本大会観戦が実現したのでありました。
そう言えば、観戦が決まってからK京都支部長と電話で話す機会がありまして、
「応援にいきますよ~」
と言ったのですが、
「いや、俺、今年は出ぇへんねん」
「えぇ?なんでですか~!?」
「あのなぁ、仕事しながら練習なんて出来たもんちゃうで。闘争心も沸いてけえへんし」

1年早く社会人となっていたK支部長の言葉は重く、あぁ、社会人になって空手を続けるって大変なんだ…と思ったのでありました。
しかし、翌年にはパンフレットのコメントに
「もう振り返りません」と書いて全日本に復帰されるのですが。
2年後、第10回の記念大会が開かれた時に川地選手、今西選手、角田選手ら10回連続出場者が表彰されるのを見て、
「くっそう、俺もあそこに立ってたのに…」
とボヤくのは少し先の話。

当日は、仕事の師匠と、同じ職場でアルバイトしていた師匠の彼女が空手の試合を観てみたい、と言うてくれたので、お一人様観戦にならずにすみました。
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会場である大阪府立体育会館は、昨年と違って照明も明るく、当時の正道会館らしい雰囲気が戻った印象でした。出場選手を従来の64名を48名に絞り、シード枠を設けると言う、これまた突然の大会要項変更がありながら、会場はほぼ満席。
今大会士道館からは村上竜司選手が初参戦。シード枠で2回戦、強烈なローキックで勝ち上がりましたが次の松本栄治選手の粘りに大苦戦、体重判定で負けになる所でしたが石井裁定で顔面有りの延長戦へ突入。しかしここでも優劣がつかず、まさかの判定負け。

2度目の新人戦で対戦したY選手は2年連続の出場、緒戦キックボクサーを破り、更に過去3連覇の実績を持つ川地選手を体重判定で下した(翌年、全日本王者になる)後川選手を破って堂々のベスト8入り。この年の春、四国の拳武道会館の大会で軽量級3位に入賞したとの記事をフルコンタクトKARATE誌で読んでおりましたが、1年半前には曲りなりにも延長まで戦った選手が体重無差別の全日本でベスト8入り。こちらは客席で観戦と、随分と差が付いちゃったな~…と少し悲しい気持ちになりました。

試合の合間には関西では当時見る機会の少ないかったb>シューティングやシュートボクシングのエキジビションが有りました。当時から、武道の大会と言えど入場料を取るのなら観客の事も考えないといけない、と公言されていた石井館長のセンスはさすが、と思ったのですが、『1回戦』『準決勝』などのプレートを持ったラウンドガールやら、選手入場時の入場テーマやらはちょっとやりすぎ?
師匠の彼女からは
「東條さん、これってプロレス?」
と言われてしまいました。トホホ…

気を取り直して
今回、何と言っても話題になったのが現役のシュートボクサー、平直行選手の参戦でした。意外と写真がなくて、見つけたのがコレ↓
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ワタシ、正道空手極真空手に比べて蹴りがキックっぽいと思っていたのですが、何の何の平選手の後ろ回し蹴りは対戦相手の頭上を軽々越えて行くじゃぁありませんか。スゲー、と見とれておりましたが、迎え撃つ正道勢も負けておりません。緒戦の相手、梶山(現在は近藤氏)選手も大健闘、次の中川敬介(現・南大阪支部長)選手は延長のグローブ戦までもつれ込み、会場はヤンヤの大喝采!
中川選手のハイキックで平選手の差し歯が吹っ飛ぶ大熱戦は、ロープ際、限りなくスリップに近いダウンを取った平選手が勝ち上がり、準々決勝へ勝ち進んだのでありました。

迎えた準々決勝戦。対するは柳澤選手であります。
疲れからか、組んでは投げようとする平選手。しかし、その動きに慣れてくると柳澤選手が逆にバックドロップで投げたり、DDTをかましたりで、これまた大熱戦に。

終盤、ボディへの膝蹴りが効いて平選手がとうとうダウン、柳澤選手の一本勝ちで決着がついたのでありました。同じ打撃系とは言え、空手ルールの中で健闘した平選手も凄かったですが、バブル当時、労働時間の長いことで有名な証券マンであったアマチュアの柳澤選手が、プロのシュートボクサーを倒した事は、Y選手の活躍と共に
「空手、やりたいな~」と思うきっかけになったのであります。

なお、柳澤選手は準決勝で軽量ながら角田選手を文句なしの判定勝ちで破った田上選手に敗退。
佐竹選手の三連覇達成で大会は幕を閉じたのであります。
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※あまり練習せずに優勝してしまい、この頃顔面なしルールの空手への情熱が冷めていたと言う佐竹選手ですが、勝利者インタビューでは極真の大会にみんなで出たい、と答え、翌年にはニールセンとの試合に挑んでプロの道へ進んでいくのでありました。
佐竹選手は準々決勝で因縁の相手今西選手をハイキックで倒すなど、世代交代の見られた大会でありました。当時はだいたい4年くらいで選手の新陳代謝があったのですね。30代40代の選手が10年以上上位に残る現代とは、状況が違ったようですね。

まや、この大会からテレビ大阪の中継は準々決勝以降しか放送しなくなりました。ちくしょ~、KOシーンイッパイの1~2回戦が面白いのに…

上司の計らいで今大会を観戦出来たことが、今も空手を続ける一つのキッカケになったのでありました。


                                    (続く)
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:18 | 社会人空手する!の話