> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分
【場所】子育てプラザ福島
4階 軽運動室
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> 正道会館大量移籍の頃
それが起きたのは1981年、
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芦原会館および正道館が誕生した翌年の事と思われますが、スポーツライフ社 から1981年11月発行の先代館長の著書「流浪空手」には、中山猛夫・伊藤博久・二宮博昭(敬省略)と言った名前が出て来ます。原稿執筆時には移籍の影も見えなかったのでしょうか?ちなみに関西地区に支部を広めた石井館長に関する記述は一行もありません。
移籍に際し、各道場に中山師範正道会館の大会(西日本大会?)のビデオを持参して再生した後、
「僕は正道会館に行きます。ここも今日から正道会館の支部となります。」
と宣言した、
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との記述がネットに複数上がっていました。色帯の道場生には選択の余地などなかったようです。
一方、龍大拳友会では?A先輩のブログによりますと
極真から芦原会館へ移行して1年。突然正道館という名前に変わると言うのだ。空手ができるのなら看板なんて何でも良いわ、って感じでいました。
昨日のお話だと、抜群に組手の強かった先輩にとって正道会館には大会がある、というのも理由の一つだったそうです。
当時の様子。
さて、龍大拳友会のメンバーは芦原会館派と正道館派にゆるやかに別れるわけですが、最初はどちらかに統一しようと一晩中、下宿で大声で罵り合い、泣きながら話し合いました。当初会派は違えど同じフルコン。フルコンカラテに最も適したトレーニング室で一緒に練習していました。
ところが、やっかいなのが審査。会派が違うと時期が異なるので、モチベーションが違ってくる。さらに時が経つと微妙に技が異なってくるのです。さらにさらに、新入生が入って来ると、彼らがどっちに入会すればいいの? となるのであります。見苦しい取合いはしなかったですが、かわいそうなのは期待に胸ふくらませ入会してくる新人君に戸惑いを感じさせてしまったことです。
名前の通った芦原会館、新興の正道会館。戸惑い、受け入れ、共存、そこまで到達するまでにひとつの出来事がありました。

T先輩によると、この時期芦原会館所属の先輩から
「別れた以上はケジメをつけよう」
と言う提案があって、練習も別々にする感じになり一時期微妙な空気が流れたそうです。また、下宿での話し合い最中に一人が
「こんなゴタゴタはもうイヤだ!」
と言って泣きながら下宿を飛び出し、
「せ、先輩、どうしましょうか?」
「追いかけて連れ戻して来い!」
「押忍!」

なんて梶原劇画みたいな出来事もあったそうなんです。
A先輩によると
「そんなことあった?(笑)」
なんですが(笑)。
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そんな時代の珍品。胸刺繍は芦原会館ですが、袖マークは極真(芦原道場)。

大学の講義を終えてトレーニング室で稽古し帰宅、のんびりしているところに固定電話がジリジリと鳴った。
き覚えのある声、滑舌が良く、いち語いち語はっきりと粒読みする。
「私、新日本空手道連盟正道館の中山と申します…」
丁寧な言葉遣い。中山師範から直接の電話なのだ。話しの内容はこうだ。
「龍谷大学の芦原会館を正道館へ移籍して欲しい。」
「個人で無責任な言動はできない。龍谷大学フルコン空手部は拳友会という独特の会を作っており、諸派に関係なく、自分自信を高める会にしてます。ですので芦原会館、正道館、極真会館単独の会派に所属するということはない。ただし、個人としてそれぞれ、芦原会館、正道館、極真会館に所属する。」
と話したのです。中山師範はそれ以上何も言わなかったです。


おかげで龍大拳友会は派閥争いに巻き込まれず、ユニークなサークルになりました。
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by osaka-kenyukai | 2016-08-13 05:19 | 活動近況「結構鍛えてます」