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> K-1の過酷さと「舞台裏」
リアルチャンプの決勝でまさかの敗退、一般企業への就職をやめて正道会館職員へ。
内定を断ったのは旅行代理店とする書籍もありましたが、他に関テレも内定出ていたみたいですね。

──ハリウッドスターでしたもんね。最初の夢は。
佐竹 それで関西テレビや他のところに就職断りに行ったんです。
「俺は正道会館の職員になって、空手漬けの毎日を送ろう」
と。石井館長にそのことを伝えたら
「そうか、じゃあ、給料はこれだけ出す」
って言って、パッと手のひらを出すんです。
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「うわ、50万くれるんやあ」
って思って。
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──初任給で月給50万ってめちゃくちゃいいですよね!
佐竹 そしたら5万だった(笑)。
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──ガハハハ!
佐竹 給料日が楽しみだなあって思ってたら、薄っぺらい封筒一枚渡されて……でも、今にして思えば有難いですよ。良い勉強できたなあって思うもん。とはいえ、生活費もなんとかせなあかんから、全日本大会の優勝賞金が100万でしょ。それを十二等分して生活費に充ててた。あとはパチプロ(笑)。
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──マジですか!
佐竹 だからこの時期は荒んだ暮らしをしてましたねえ。いろんな「悪」も見てきたなあ。だから絶対悪に落ちないし、悪に落ちそうな人がいたら、適切な助言もできる。そういう部分を見てきた時代ですね。


話題はプロ時代に移ります。

佐竹 いや、もう本当に、あの頃の館長と僕はある意味運命共同体でしたよ。でも、利用されている云々なんて全然思わなかった。まず目の前のことが必死でそんなことを考える余裕もなかった。実際に、館長の指示で動いていると、僕自身の露出も増えたんです。

まず館長からは、すでにK―1についての構想を聞かされていたんです。
「フジテレビと組んで凄いことをやる」
「これが成功したら一気に上に行けるぞ」
と。それを聞いたらね、まず僕自身もそこに魅力を感じたし、綺麗ごとじゃなくて、館長を世界一のプロデューサーにしようと思っていたから。

──そこは師弟の関係ですか?
佐竹 ありましたね、それは。
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だってね、K-1以前の正道会館っていろんな会社に応援してもらわないと、大会も何も開けなかったし、運営もできなかった。要するに金のない時代ってとにかくスポンサーありきなんです。協賛してくれる会社さんとか。そういう会社ってとても有難い。でも中には
「お前らはな、確かに強いけど金は持ってないやん」
って、そんなことを平気で言う社長もいたんです。

──ひどいなあ!
佐竹 それは館長も悔しかったと思う。だから
「この人を男にしたいなあ」
っていうのは僕もありましたよ。だからね、大成功したあと、館長がああいうこと(脱税などの疑いで03年に逮捕されてしまう)になってしまったのも責められないなあって。
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──ところで、石井館長との関係っていうのは、実際のところはどんな感じだったんですか?
佐竹 最初はよかった。練習も理論的だし、彼が芦原英幸のサバキの継承者であるのは間違いないです。
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それにプロモーターとしても最初はいい思い出もいっぱいあって、例えばリングスに参戦する前も、そんなにお金を持ってたわけじゃない。
「新幹線を使うよりクルマで何人かで行った方が、高速代とガソリン代が安上がりや」
とか言って、館長も東京大阪間を車で何往復もしたりして。

──まさに「そんな時代もあったねと……」ですね。
佐竹 泊まるホテルも、よくてビジネスホテル、普通で新宿のサウナ。時には
「今日はほんまに金ないから、オールナイトの映画見て過ごそうや」
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ってこともありました。僕はその時代の館長を忘れていないんです。

──佐竹さんから見て
「あ、この人変わったなあ」
って思った瞬間というのは、あったんでしょうか?
佐竹 あるとき館長が
「佐竹、俺は将来何になりたいか知ってるか?」
って訊いてきたから
「館長、(アメリカでもっとも有名なプロモーター)ドン・キングを抜きましょう!」
って言うたら、
「違うよ、俺はハリウッドスターや」(笑)

──えー!?
佐竹 いつからか夢が逆になってしまっていた(笑)。でもK―1で成功して、お金が入ってくると、周辺にハイエナみたいなやつが集まってくるんですよ。それで変わってしまったのもあるかもしれない。

──では、今まで戦った選手の中で一番強かったのは誰ですか?
佐竹 それはねえ……もちろん、アーツも、
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ベルナルドも、みんな強かった。コールマンも強かった。でもねえ……10代のときに出た空手の大会の一回戦で戦った子も強かった。いや、本気で向かってくるわけだから、本当に彼らは強かったんだよ。だから、そういう意味も含めて、戦った選手はみんな強かったとしか言えないし、言ってはいけないと思う。

──素晴らしい話です。
佐竹 40代、50代……しんどい年齢なんですよ。同年代のビジネスマンの方もそう思っているはず。でも、今はまだ立ち止まらずに、後の世代に背中を見せながら動き続ける時期なんですね。そして、それこそが本当の「運動」でもあるわけです。「運を動かす」で「運動」。だから運を掴むには、まだ立ち止まれない。そう肝に銘じて踏ん張ります。僕の戦いはまだまだこれからですよ!


いかがでしょうか?まだ石井館長との確執は続いている感じですが、「まっすぐに蹴る」の記述と比較すると、上手く行っていた時期の思い出は悪くない、と言う様に感じられませんか?
個人的には
10代のときに出た空手の大会の一回戦で戦った子も強かった。いや、本気で向かってくるわけだから、本当に彼らは強かったんだよ。
って話が好きです。
by osaka-kenyukai | 2016-08-27 00:15 | 活動近況「結構鍛えてます」