> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分
【場所】子育てプラザ福島
4階 軽運動室
詳細は入会案内へ!
> フォロー中のブログ
カテゴリ:社会人空手する!の話( 14 )
① いつまで続く?そろそろ終わる?
学生最後の正道会館新人戦にて前歯と共にモロモロのモノを砕かれ、芦原会館の黒帯を記念に足を洗った(?)ハズの空手修行。

なのにまぁ何故だか現在も細々と稽古を続けているわけであります。
いや、本当にもう辞めるつもりだったんですよ?ところが数度のブランクを挟みながら大学時代の4年を遥かに越えた年数、空手着に袖を通しております。なんだかな~。

空手を再開するキッカケ、社会人になってから激変した社会の中の格闘技などなど思いつくまま書いて行く新カテゴリであります。拳友会遊戯の社会人バーションだと思ってください。

ちなみに社会に出てから、空手界で起きた大きな出来事と言えば…

●正道会館、極真ウエイト制に参戦
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●佐竹雅昭、ピーター・スミット、ウイリー・ウイリアムスと対戦
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●K-1スタート
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●アルティメット大会スタート
●大山倍達氏 逝去
●極真会館分裂
●芦原英幸氏 逝去

などなど。
こうした出来事と自分の身の回りで起こった出来事を書いて行きます。

拳友会遊戯と異なり、時系列が前後すると思いますが、ご勘弁を。
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:20 | 社会人空手する!の話
② 社会人1年生 世間の目を思い知る!
平成元年4月1日、消費税の導入と共に社会人生活がスタート。
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業務内容とはおよそ関係ないと思われる自衛隊での二泊三日泊まり込み研修が有るかと思えば、翌日には舞台の観劇などバラエティに富んだ新人研修でありました。
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※イメージ画像です。

自衛隊研修では二人並走で行う体力測定があり、最後の持久走は不得意ゆえ惨敗だったものの、50m走は6秒代で走り抜け、土嚢担ぎ走では「これが大道塾の東孝塾長もやったと言う土嚢担ぎ走か!」などと考えながら走った結果1級評価をいただき、並走した同期と、教官から「二人とも自衛隊に来ればいいのに。」なんて嬉しい言葉をかけていただきました。体力バカ確定です。
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残念ながら徒手格闘技のレクチャーはありませんでした。そう言えば当時の芦原会館の職員で自衛官出身の方が居られたのですが、いや、あの環境だと鍛えられますわ。

さて、何処からどう話しが伝わるのか、「今年の新入社員に空手の有段者がいる」と社内で噂になっており、研修に行く各部署で
「君か、空手やってたのは。」
と毎回聞かれておりました。
「極真か?」
と聞かれて、当時は律儀に
「いえ、芦原会館と言いまして、元・極真で…」
と説明しておったのですが、今考えると一般の人には関係ない話ですよね。最近は
「極真やってたの?」
ときかれたら
「ええ、似たような所で…」
と答えるようにしていますが。あ、当時は
「極真?」
と聞かれる事が多かったのですが、ここ10年ほどは
「空手ですか?正道会館ですか?」
と言われる事が多くなりました。K-1効果恐るべし。この話題はまた後ほど。

さて、空手黒帯ってことで早くに先輩社員に顔と名前を覚えてもらったのはいいのですが、ある時会社の偉い人から
「入社選考の時に、空手やってるヤツなんか駄目だ!と反対する役員がいてね~」
と聞かされ、おとなしくしておこう、と誓うのでありました。昔、空手やってる人に酷い目に遭わされたのかも知れません。

先輩の中に極真弐段の方もおられ、ウエイト制を観戦した翌日、
「昨日会場で見かけたぞ」
と笑顔で声をかけてもらったり、一期生には有名私大空手部のOBも居られたりで肩身の狭い思いをすることは無かったのですが。ただ、大学OBの方に
「東條君は得意な型は何かね?」
と聞かれた時は慌てました。伝統型なんて平安や大極すらやったことなかったし…
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「はい、組手の型2を一番練習しました」
なんて言っても何のことだか伝わらなかったでしょうね。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
 
世の中には空手の事を好ましく思わない人もいる、社会に出て初めて気付きました。
社会人が空手をするのって大変なんだな~。
高校で番張ってた、と吹いていた同期が3ヶ月持たずに辞めていくなど、部署によっては過酷な職場もあった様ですが、私は社会人スタートの配属先で大変人に恵まれました。
新入社員は指導役の先輩社員について仕事を教わります。初対面時の会話。
私「東條です、よろしくお願いします。」

師匠「おう、自分、新日の山田恵一みたいやな~」


え!山田恵一ってまたマニアックな!
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こちらの方、まだメインイベンターではなく、ちょうど平成元年春に海外遠征から帰国、
獣神(現・サンダー)ライガーに変身したところでした。
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私「いや師匠、山田恵一選手をご存知とは、かなりのプロレス通とお見受けしますが…」

師匠「あぁ、大好きやで。去年からウエイトトレーニングも始めたしな。あ、○○さん(職場の先輩で若手のリーダー格の人)コイツ、ゴツイ身体してるでしょう~」

○○さん「おぉ、ホンマやなぁ。ウエイトやってたん?」

私「はい、学生時代に空手の補強で。」

○○さん「そうか~。俺は杉田さんの所でボディビルやっててん。イギリスまで修行に行って、シュワちゃんと握手してきたで(笑)」

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※杉田さんとは、日本人初のボディービル世界王者。
シュワルツェネッガーが杉田氏の迫力あるカーフ(ふくらはぎ)の筋肉を見て、
「どうやってそんな筋肉を作ったのか?」
とトレーニング方法を尋ねたことがあったそうな。 カーフの反応のよさは生来のもので、特別なトレーニングはしていなかった杉田氏が正直にその様に答えたところ、
「そうか、俺にはトレーニング方法を教えてくれないんだな」
とシュワルツェネッガーが怒ってしまって、 その後握手をした写真を撮った際にシュワルツェネッガーが視線を意図的にはずしている、とのエピソード有り。

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ロッカールームで着替え中、○○さんとふざけてポージング対決を行いました。
○○さん「しばらく筋トレしてないからな~」
と言いながら○○さんと並ぶと、ついこの間までトレーニングしていた私よりもず~っと大きく見えるのです!ボディービル競技の奥深さを感じたエピソードでした。
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※このポーズです。大きく見せるのは実に難しいです!
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:19 | 社会人空手する!の話
③ 社会人 正道会館全日本大会を観戦す!
入社から半年ほど経過しました。

ある時、上司から次月の勤務シフトについて
「おい、来月の日曜に休みたい日は無いか?」
と聞かれました。
「いえ、そんな1年目だし、希望なんてないです。」
と答えたところ、ちょっと上司の目が釣り上がりまして
「あのなぁ、1年目とかそんなの関係ないんや。用事や、やりたい事があったら我慢する必要はない。誰かが交代で出ればええだけやないか。それがチームや!」

確かこんな主旨のお言葉を頂きました。
そう言えば来月は正道会館の全日本大会。職業柄、日曜開催のイベント参加なんて無理と思っていましたが、思い切って言ってみました。
「え~と…じゃぁ10月1日休ませていただきたいですが…」
「ほら、希望あるやないか(ニヤリ)ええよ。で、何の用事なんや?」
「え~と、空手の全日本大会がありまして…」
「おお!そう言えば自分(お前、の意)空手やっとったんやな」

という事でめでたく日曜公休をいただき、就職を機に途絶えると思っていた正道会館全日本大会観戦が実現したのでありました。
そう言えば、観戦が決まってからK京都支部長と電話で話す機会がありまして、
「応援にいきますよ~」
と言ったのですが、
「いや、俺、今年は出ぇへんねん」
「えぇ?なんでですか~!?」
「あのなぁ、仕事しながら練習なんて出来たもんちゃうで。闘争心も沸いてけえへんし」

1年早く社会人となっていたK支部長の言葉は重く、あぁ、社会人になって空手を続けるって大変なんだ…と思ったのでありました。
しかし、翌年にはパンフレットのコメントに
「もう振り返りません」と書いて全日本に復帰されるのですが。
2年後、第10回の記念大会が開かれた時に川地選手、今西選手、角田選手ら10回連続出場者が表彰されるのを見て、
「くっそう、俺もあそこに立ってたのに…」
とボヤくのは少し先の話。

当日は、仕事の師匠と、同じ職場でアルバイトしていた師匠の彼女が空手の試合を観てみたい、と言うてくれたので、お一人様観戦にならずにすみました。
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会場である大阪府立体育会館は、昨年と違って照明も明るく、当時の正道会館らしい雰囲気が戻った印象でした。出場選手を従来の64名を48名に絞り、シード枠を設けると言う、これまた突然の大会要項変更がありながら、会場はほぼ満席。
今大会士道館からは村上竜司選手が初参戦。シード枠で2回戦、強烈なローキックで勝ち上がりましたが次の松本栄治選手の粘りに大苦戦、体重判定で負けになる所でしたが石井裁定で顔面有りの延長戦へ突入。しかしここでも優劣がつかず、まさかの判定負け。

2度目の新人戦で対戦したY選手は2年連続の出場、緒戦キックボクサーを破り、更に過去3連覇の実績を持つ川地選手を体重判定で下した(翌年、全日本王者になる)後川選手を破って堂々のベスト8入り。この年の春、四国の拳武道会館の大会で軽量級3位に入賞したとの記事をフルコンタクトKARATE誌で読んでおりましたが、1年半前には曲りなりにも延長まで戦った選手が体重無差別の全日本でベスト8入り。こちらは客席で観戦と、随分と差が付いちゃったな~…と少し悲しい気持ちになりました。

試合の合間には関西では当時見る機会の少ないかったb>シューティングやシュートボクシングのエキジビションが有りました。当時から、武道の大会と言えど入場料を取るのなら観客の事も考えないといけない、と公言されていた石井館長のセンスはさすが、と思ったのですが、『1回戦』『準決勝』などのプレートを持ったラウンドガールやら、選手入場時の入場テーマやらはちょっとやりすぎ?
師匠の彼女からは
「東條さん、これってプロレス?」
と言われてしまいました。トホホ…

気を取り直して
今回、何と言っても話題になったのが現役のシュートボクサー、平直行選手の参戦でした。意外と写真がなくて、見つけたのがコレ↓
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ワタシ、正道空手極真空手に比べて蹴りがキックっぽいと思っていたのですが、何の何の平選手の後ろ回し蹴りは対戦相手の頭上を軽々越えて行くじゃぁありませんか。スゲー、と見とれておりましたが、迎え撃つ正道勢も負けておりません。緒戦の相手、梶山(現在は近藤氏)選手も大健闘、次の中川敬介(現・南大阪支部長)選手は延長のグローブ戦までもつれ込み、会場はヤンヤの大喝采!
中川選手のハイキックで平選手の差し歯が吹っ飛ぶ大熱戦は、ロープ際、限りなくスリップに近いダウンを取った平選手が勝ち上がり、準々決勝へ勝ち進んだのでありました。

迎えた準々決勝戦。対するは柳澤選手であります。
疲れからか、組んでは投げようとする平選手。しかし、その動きに慣れてくると柳澤選手が逆にバックドロップで投げたり、DDTをかましたりで、これまた大熱戦に。

終盤、ボディへの膝蹴りが効いて平選手がとうとうダウン、柳澤選手の一本勝ちで決着がついたのでありました。同じ打撃系とは言え、空手ルールの中で健闘した平選手も凄かったですが、バブル当時、労働時間の長いことで有名な証券マンであったアマチュアの柳澤選手が、プロのシュートボクサーを倒した事は、Y選手の活躍と共に
「空手、やりたいな~」と思うきっかけになったのであります。

なお、柳澤選手は準決勝で軽量ながら角田選手を文句なしの判定勝ちで破った田上選手に敗退。
佐竹選手の三連覇達成で大会は幕を閉じたのであります。
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※あまり練習せずに優勝してしまい、この頃顔面なしルールの空手への情熱が冷めていたと言う佐竹選手ですが、勝利者インタビューでは極真の大会にみんなで出たい、と答え、翌年にはニールセンとの試合に挑んでプロの道へ進んでいくのでありました。
佐竹選手は準々決勝で因縁の相手今西選手をハイキックで倒すなど、世代交代の見られた大会でありました。当時はだいたい4年くらいで選手の新陳代謝があったのですね。30代40代の選手が10年以上上位に残る現代とは、状況が違ったようですね。

まや、この大会からテレビ大阪の中継は準々決勝以降しか放送しなくなりました。ちくしょ~、KOシーンイッパイの1~2回戦が面白いのに…

上司の計らいで今大会を観戦出来たことが、今も空手を続ける一つのキッカケになったのでありました。


                                    (続く)
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:18 | 社会人空手する!の話
④ 社会人、先輩ズラして大学へ行く!
幸いなことに夜勤業務が午前10時に定時で終わると、後はフリーなのであります。
夏が終わり、少し社会人生活に慣れてきた頃。夜勤を終えて翌日のシフトは休み。たっぷり時間があります。大型書店で先に観戦した正道全日本の記事が載っていた月刊空手道(だったか、フルコンタクKARATEだったか?)を買って、久しぶりに阪急京都線に乗り込みます。
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龍谷大拳友会を託したアラタ君によると、新入生が結構な人数入会して
「いい感じで練習してますよ」
とのこと。全日本観戦で空手熱も戻って来たことだし、一回顔出してみようか、と思ったわけです。しかし今考えたら後輩君たちにとっては迷惑極まりないですよね。

京阪深草駅を降りると、1年前…いや入学時と全く変わらぬ光景。てか、一昨年学園祭に行った時も全然変わってなかったぞ!変わらなさ過ぎて何だかな~。

久しぶりに8トレに足を踏み入れると、あぁ懐かしい。でも、そこに同期メンバーはいない。
「あぁ、卒業したんだ」
と実感…って遅ぇよ!

「いや~久しぶりですぅ~」
現(当時)リーダーのアラタ君、堂々の茶帯姿で満面の笑み。さすが1回生終了時点で留年確定した男は余裕があります。
平成元年の新入メンバーを紹介してくれます。おう。結構人数入ってる!ちょうど我々の代と同じくらいの人数でしょうか?もう同好会消滅も有り得ると覚悟しておりましたが、不思議と4年周期で入会者が増える時期が巡って来るようです。
更に、アラタの次にキャプテンを務めるT君の尽力で、何と拳友会が大学の公認同好会となったとのこと!T君、拳友会遊戯には全然登場しなかったけれど(スマン!)この時期の拳友会の隆盛は彼の努力によるものです。
卒業後、教職に就いたT君の教え子が私の会社に入社してきた時は驚きましたが…
それに、粗暴な人間が一人も居なかったことも拳友会の伝統なのでしょうか?
皆礼儀正しく、きちんと先輩を立ててくれるのです。
後でわかったことですが、大学院に進学したオショウや、京都在住だったタツヤ・カズヤ兄弟が顔を出していて
「あの先輩たちの同期の人なら、悪いひとではない」
と思われていたみたいです。後輩諸君、裏切ってゴメンね。

「卒業しても可愛い後輩のことが心配だから、時間があったら顔だすからね」
すっかりいい気分になって、後輩の迷惑も顧みず梶みつを先輩
※「ストップひばりくん」ってマンガを参照してください※
と化す私でありました。
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※これが梶先輩です…
そんな事もあって、定期的ではないものの時々空手やウエイトトレーニングをやる事になったのであります。
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:17 | 社会人空手する!の話
⑤ 社会人 後輩の新人戦を観戦す!
春が来て入社2年目、後輩諸君から春の正道会館新人戦に出場します、との連絡が!会場はかつてタツヤ田上敬久選手と戦った、武道館ひびき。

日程を見ますとちょうど夜勤明けの日です。
「行く行く、応援行く!」
出場者は2名、新キャプテンのT君と新入生でピカイチのK君
結果から言いますとT君が堂々のベスト8入り、K君は何とベスト4入りと、在学中3回連続一回戦負けのだらしないOB、立場なしです。

ちなみにK君は不運にも準決勝でもつれた際に足首を捻っての負傷途中棄権。
ドクターの診察も選手の意思も確認しないうちに負傷棄権との主審判断にちょっと
「またかよ!(カズヤの新人戦の項参照)」
と思いましたが、重症化する前に終わってよかったです。

またベスト8のT君(と対戦相手)不幸にも準々決勝でタイムキーパーが時間を間違えて試合時間2分のところ延々5分近く戦っての敗戦でありました。
今では考えられませんが、当時スタッフの数が少なくて太鼓係りやオジャミ(試合時間終了の合図に投げる赤い小豆袋)係り、タイムキーパーは当日応援団の中から審判がチョイスするシステムだったのです。応援に来ている者は関係者(門下生)であろう、と言う前提の下です。

偶然開会前にタイムキーパーに指名されて戸惑っている姿を見ていたのですが、さてT君の試合どう見ても体感時間2分をとうに過ぎております。もう2人ともスタミナ切れてヘロヘロです。
そ~っとタイムキーパーの後ろに回ってストップウオッチを覗くと、もう動いていません。押し忘れたのか、途中で止めてしまったのか、どうすれば良いのかテンパってしまったようです。
「主審!時間過ぎてます!」
と叫ぶと、主審もヤケに長いと感じていたのでしょう、速攻試合が止められました。

「おかしい、おかしいと思いながら戦ってました、押忍」
T君お疲れさん!
素晴らしい後輩から刺激を受けて、就職したらもう辞めるハズだった空手&試合への情熱がまたまた持ち上がってきたのでありました。

そしてフルコン大会史上最も衝撃的な事件が起きるのでありました。
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:16 | 社会人空手する!の話
⑥ 正道会館、極真全日本に参戦か?
89年、石井館長が格闘技雑誌上で
「極真全日本に選手を送り込みます。しかも正道トップクラスの選手を大挙」
と言う記事が出ましたが、正直言いますと
「それは無理やろ~、リップサービスやで~」と思っていました。

89年の全日本大会、勝利者インタビュー中佐竹選手が
「もっともっとみんなで精進して、極真の大会に出たいと思います」
と発言されていたので、
「あれ?本気?」と期待しましたが…
当時、極真空手は大会をオープントーナメントとして他流派にも門戸を開放していたものの、基本的に極真会館から離脱した流派の受入は拒否。永久除名と言う重たい処分を課した芦原英幸氏の元・門下であり、初期の全日本大会のポスター・パンフレットのデザインが極真空手のソレに瓜二つで(学生時代、正道K支部長宅で見せてもらったことがありますが、ソックリでした)訴えようとの声も内部にあったと噂される正道会館ですから。
加えて、分裂前の巨大組織だった極真会館は、全日本の出場枠128名をハイレベルな自流の選手だけで埋められるほど層が厚かったのです。

ですから秋の極真全日本に正道会館が不参加と報道された時も別に驚きもしませんでした。
ただ、正道会館からは出場申込み書がキチンと極真会館には送られていたそうで、挑戦の意思はホンモノ?と期待させるものはありました。

しかし、にもかかわらず参加が認められなかったのは極真側の発表だと
「多数の申込み書の筆跡が全て同一人物のものと思われ、選手本人の参加意思が確認できない」
「訂正された書類が到着した時には既に応募〆切を過ぎていた」


一方、正道側の言い分として正道全日本にも参加経験のあるプロレスラー・松永光弘氏がブログで佐竹選手に直接聞いた話と紹介していたのが
「参加申込書が、間に合わんから、ファックスで送ったらファックスじゃ駄目だと言うし、送ったけどもう駄目や言うし、訳わからん」

と、実にモヤモヤさま~ズな結果となったのであります。

結局翌年に大阪で開催された極真全日本ウエイト制大会正道会館勢は出場しました。各階級に正道会館の一線級選手が出場していましたが、柳沢選手角田選手は出ていたのに佐竹・川地両チャンプの姿はありませんでした。
佐竹選手は自著の中で
「極真ウエイト制に参加申し込みをしたけど、参戦拒否された」と言っておりますけれど、
他の選手が出場出来て佐竹選手だけ拒否されるなんて事は考えにくい気がします。

まぁ川地選手は証券マンとして多忙を極めていたようですし、佐竹選手はこの時期ドン・中矢・ニールセンとのキックルールでの対戦が迫っていたからかも知れませんね。

もう一つ不透明なのが、この年を含めて3年間、正道会館勢は極真全日本ウエイト制大会に参戦しましたが、結局全日本大会への出場はありませんでした。大阪で開催されるウエイト制は主催が関西本部で、本部の意向が届かなかったのだ、と言う説がありますが、真相はわかりません。

結局、正道会館勢の全日本参戦は分裂後の極真・松井派のみとなってしまいました。全盛期に2大流派の激突が見たかったな~…残念!

さて、次回はウエイト制観戦記を!
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:15 | 社会人空手する!の話
⑦ 正道会館、極真ウエイト制に参戦す!
前年度の全日本参加が実現しなかったこともあり、
「風船膨らましてるだけじゃないの?」
と諦めかけていたある日、極真会館の機関紙パワー空手にウエイト制大会のトーナメント表が掲載されました。何と!堂々正道会館の選手が各階級に参戦しているではありませんか!しかも自派大会上位入賞者ばかり!パワー空手の解説にも注目選手として名前が挙がっています。こ、これは絶対観に行かなければ!

いやいや油断は禁物、当日会場に行ってみたら当日何らかの不備が有って全員欠場とか有るんじゃざいの?と疑っていたのは私です。だってフルコン界って何が起こっても不思議じゃないですからね。

やはり極真正道の直接対決は一大ニュース。連絡したのか連絡あったのかは忘れてしまいましたが、京都からラオウと和尚が大阪までやって来てウエイト制大会を一緒に観ることに。

緑健児選手の復活に正道会館の参戦と、話題満載の第7回ウエイト制大会。
会場である大阪府立体育館は昨今の空手大会では考えられないぐらい超満員。
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フェニックス代表が当時を回想して
「フルコンタクト空手が一番盛り上がってた時代だったよな~」
と言う時代を体感出来て幸せであります。

空席を探して2階席をウロウロしていると、当時の芦原会館関西支部の指導員の方々の姿も見えます。

ほどなく田上選手が試合場に上がりました。おぉ、本当に極真カラテVS正道カラテが実現するんだ! 80年代フルコン経験者はアドレナリン沸騰、興奮度MAXです。
さて試合場を観ての感想。極真の選手はデカイ!正道会館の大会だと飛びぬけてデカく見えた選手達が小さく見えるくらい。
しかも当時ウエイト制は無差別の全日本大会より格で言えば下と言うのが一般的な認識でした。トップ選手でないクラスでもこの体格、この強さ。
正道会館勢の苦戦が目立ちます。印象としては技は効いているんだけど倒しきれない、と言う感じ。完全に効いているのに、意地で覆いかぶさる様に踏ん張る極真選手のスピリットは凄かったです。
近年、他流派選手が極真選手をKOするシーンも珍しく無くなりましたが、この時代はまさに「極真魂」を発揮する選手が大勢いました。
第三者が勝手な感想を言わせてもらいますと、
「正道会館勢を勝ち上がらせるな」
的な判定もあったりして、モヤっとする場面も有ったのですが、近年の有効ムードとは違う流派の意地とプライドがぶつかる試合は大変熱いのでありました。

さて、結果は角田選手が重量級4位入賞、柳澤選手は優勝した岩崎選手に破れベスト8.
かつて京都支部所属だった梶山選手が中量級でベスト16と言うモノでした。

発売日に書店で買った格闘技通信
石井館長のインタビュー。まず、参加させてくれた事に感謝を述べた後
「結果を問われれば頭に来てます」
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優勝した岩崎選手のインタビュー。
「柳澤選手ですか?上手いとは思いましたが、ウチの土俵では負けられません」
と熱い言葉のオンパレード。

「あぁ、空手やりたいな~」
最後の新人戦で懲りたんじゃなかったのか、オレ?
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:14 | 社会人空手する!の話
⑧中途半端に復活
ウエイト制大会観戦後、ラオウ・和尚と夕食を食べに久々に難波の街へ。感想をあれこれ喋るうち、ちょっと前にテレビで放送されたジャッキー・チェンの番組の話題になりました。
番組の中でサンダー・アーム/龍兄虎弟撮影中に頭蓋骨骨折の重傷を負い
考えが変わったと。
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「あの事故で僕は代わったと思う。それまでは何事も明日やればいい、と思っていたけれど、やりたい事もいつか必ずやれなくなる時が来る。だから、何事も今やろうって決めたんだよ」
(石丸博也さんの声で読んでね)

おぉ、さすがジャッキー!その通りだ!
まさか後年
「黒社会に対抗するため銃と手榴弾を持ち歩いていた」
とか、政治関連で全く空気の読めない発言を繰返すKYな人とは思えない人生訓。

そこでどうしたかと言うと、とりあえず芦原会館 関西本部へ再入会したのでありました。
卒業から丸々1年のブランク。本当に久しぶりに関西本部の階段を上がり、再入会の旨を当時の指導員の方に伝えますと
「おう、自分どこか学校の同好会だったな~」
と嬉しいお言葉。殆んど学校でしか活動してなかったのに、何故覚えておられたのか?もちろん上手いからではなく、顔が面白かったとか、あまりにもヘタ過ぎて逆に印象に残ったのでしょうが…
「自分、黒帯だったよなぁ。帯そのままでええよ。」
残念ながら空手着は最後の新人戦で血まみれになり(ギャ!)、流石に4年間の酷使でホツレ・ヤブレがでてしまっていたので新しく購入することに(さすが社会人!)6号からサイズが7号にアップして、背中にローマ字ロゴ入りになりました。ロゴ無しはもう在庫切れでした。残念!

こうして再び空手の稽古を再開するはずだったのですが…
実は空手再開のキッカケとなった極真ウエイト制の翌日、人事異動によって所属部署が変わったのでありました。勤務時間がガッチリ決まって計画の立てやすい前職場と違い、拘束時間が長く徒弟的な雰囲気の職場で慣れぬ仕事に戸惑い、到底空手の稽古に行ける状況ではありませんでした。

日曜日も出勤で、当時大ヒットした(最初の)「ちびまる子ちゃん」を一度も観たことがなく、巷に流れる
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「♪ピ~ヒャラ ピ~ヒャラ パッパパラパ~」
と言うのが一体何の歌なのか知らなかったと言う…

前の職場と比べ、理不尽と思えることも多く、1年後輩の新入社員諸君と疲れた身体を引きずりながらも、カラオケへ行ってストレスを発散…って、全く鍛えてないじゃん?
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それでも無理やり日曜に休みを一日だけ入れて、台風接近のなか第9回正道会館全日本大会を観戦に行ったのでありました。
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:13 | 社会人空手する!の話
⑨ 第9回 正道会館 全日本大会観戦
拳友会の現役世代に同期のミャ~くんを加え、何とか日曜に強引に休みをとって駆けつけた正道会館 全日本大会
今回の目玉は当時最大の大物外人、ピーター・スミット
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この時期はキックボクサーとしての活動が中心でしたが、そのベースが極真空手であることは周知の事実。86年の全日本、87年の世界大会でも大いに活躍していた現役ファイターの正道会館全日本参戦はビッグイベントでありました。
しかもトーナメントでは従来決勝で大物同士がぶつかるようブロックの両端に配されるのが常であり、時には決勝まで勝ち上がらせるために途中で大物に有利な妙な判定があったりするのですが今回は一回戦最後の試合で佐竹雅昭選手といきなり激突であります。
「ファンが観たいと思う試合を提供するのがボクなんです」
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と、またまた嬉しい発言をし、ビッグマッチを大阪で実現してくださった石井館長。
※しかし正直言うと現役プロ選手の参加とか、トーナメントの組み合わせを観たいカードとして組むとか、アマチュア主体の大会としては違和感を感じたのも事実。
翌年のKARATE WORLDCUP以降、興行としての色が強くなって行きます。


会場となった府立体育館には、極真会館の支部長の姿も見られます。

TV放映の際、体育館のロッカーでスミットBEGINのビッグミットにローキックをぶち込む映像が有りましたが、どうやら会場内の売店で売っていた商品を借りていたらしく(不確かな情報ですが)セコンドがミットを売店に返しにきたのはいいのですが、もうボロボロになっていて、受け取ったお手伝いの道場生らしき少年たちが
「これ、どうしよう…」
と呟いていたのを覚えています。

スミット正道会館の道着を着ているけれど、新品特有のアイボリー色。ズボンは
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:12 | 社会人空手する!の話
⑩社会人新人戦に再挑戦する!
さて
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by osaka-kenyukai | 2001-12-31 20:11 | 社会人空手する!の話