> 練習日と場所
【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分
【場所】子育てプラザ福島
4階 軽運動室
詳細は入会案内へ!
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拳友会とは?
【そもそも、拳友会とは…】
当初、龍谷大学拳友会に伝わる誕生のエピソードをそのまま書いておりましたが、事実と異なる部分も有る様ですので、加筆訂正してまいります。
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大阪拳友会は、京都・龍谷大学で活動していた実戦カラテ同好会「拳友会」を母体とする空手サークルです

私が入学した1985年、「龍谷大学・拳友会」は、芦原会館・龍谷大学同好会正道会館京都支部に通う龍谷大学生で構成されたサークルでした。
元々は1970年代に極真会館・芦原道場京都支部の同好会として発足した、と聞かされていましたが実際にはもう少し後の結成の様です。
1980年芦原英幸氏の極真会館除名⇒芦原会館設立、1981年京都支部長・伊藤浩久氏の正道会館移籍に伴い、同好会会員の所属する流派が別れてしまいました。
当時のエピソードを、龍谷大学拳友会の発起人である現・武龍館代表がブログに書かれていますので、後ほど紹介させていただきます。
80年代初頭、混乱に見舞われましたが龍谷大同好会の活動は分派前と変わらず合同で行われ、私の所属していた1985年~1989年には芦原・正道以外に極真会館、大道塾、士道館などのフルコン流派、古流柔術・伝統派空手・少林寺拳法といった他武道の方々も参加して技術交流を行っていました。
その後、後輩達の努力で非公式なサークルから大学公認の同好会へと昇格しましたが、1994年頃=ちょうどK-1やアルティメット大会の登場で格闘技がメジャーになろうとしていた時代に、部員の減少と練習場所の確保が困難になったことで活動を休止したと聞きました。
最後まで天邪鬼なサークルでした…。

空手の練習会を立ち上げるに当たって、当時のような「明るく、楽しく、そして強い」サークルを目指し、拳友会と名付けました。



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by osaka-kenyukai | 2001-01-05 00:00 | 拳友会とは?
拳友会誕生の経緯
拳友会が、どうして芦原会館と正道会館の同好会になったのか?
フルコンタクト空手界の事情に詳しくない方も居られると思いますので、拳友会に関係するフルコン界の流れを整理してみました。(文中敬省略)

昭和36年 9月 芦原英幸、大山道場(極真会館の前身)に入門。
昭和39年 3月 初段を取得。
昭和42年 3月 大山館長の命により四国の愛媛県へ支部作りに単身で向かう。
昭和44年 1月  石井和義、極真会館四国支部芦原道場入門。
昭和45年 6月 八幡浜に道場完成 。
昭和50年~    漫画「空手バカ一代」や映画「地上最強のカラテ」等で空前の空手ブーム、この頃より各地に支部道場が出来はじめる。
昭和50年 6月  石井和義、22歳でナンバ大阪球場にて極真会館芦原道場大阪支部を設立。以後大阪を中心に京都・神戸・岡山・奈良・姫路・堺へと支部道場を広げ関西地区総責任者となる


(この頃に龍谷大学に支部が出来たと言う認識でしたが、もっと後の様です。大学で武道系クラブと言えば普通OBなど縦の繋がりが強いものですが、拳友会では全く無頓着で、設立当時のOBと面識の全く無い我々には、詳しい設立の経緯がわからないのでした…まぁ知らなくても誰も気にしていませんでしたが…)

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↑※珍しい極真会館 芦原道場の道着です。

昭和50年11月 芦原門下 二宮城光、極真全世界大会3位入賞
昭和52年11月 芦原門下(大阪支部)中山猛夫、極真全日本大会準優勝
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昭和53年11月 二宮城光、極真全日本大会優勝
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これは準優勝の時の写真?でも格好いいので載せました。
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表彰式にて。空手衣の帯下にマジックで「芦原道場」とアピール。上の中山師範の表彰写真でも見受けられます。

昭和54年 1月 芦原道場松山本部道場オープン
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昭和55年 6月 石井和義、極真会館芦原道場を退館し、正道館を設立

(この辺りの事情は、石井和義氏著・「空手超バカ一代」104頁をご参照あれ)
昭和55年9月 芦原英幸、極真会館を永久除名処分となる。
  新国際空手道連盟芦原会館を設立。


(昭和55年、大きな動きがありました。芦原会館設立に伴い、龍谷大学同好会は新国際学生空手道連盟に加入したのです)


昭和56年11月 正道館、大阪市北区に正道会館総本部を設立し名称を正道会館と改める。同時期、多数の関西地区の支部・大学同好会が正道会館へと移籍。京都支部長・伊藤浩久が正道会館へ移籍。
(芦原会館、正道会館設立から約1年後、またまた大事が起こりました。京都府下にあった龍谷大学同好会は影響をマトモに受けて分裂…したものの、空手着の胸刺繍が変わっただけで相変わらず大学の第8トレーニング室で一緒に稽古をしていたのでした)

www.logsoku.com
コレ↑書かれてるエピソード面白いです。どれも実際に有ったっぽいです。


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by osaka-kenyukai | 2001-01-04 00:00 | 拳友会とは?
分裂当時の事情①京極東宝ビルの看板
今は建て直しされてしまっって現存しない極真会館芦原道場京都支部の所在地、京極東宝ビルにまつわる笑い話が拳友会には伝わっています。
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京都に一人の少年がおりました。
彼は漫画「空手バカ一代」や映画「地上最強のカラテ」を観て「極真空手」に憧れていました。「いつか極真空手に入門して強くなるんだ!
しかし、今のように子供が空手を習うことに肯定的な親は少なくて、また不思議と自分の周囲に「極真の道場に通っている」同級生や先輩が見当たりません。通学路の電柱には「道場生募集!」のポスターが貼られておりましたけれど、肝心の道場の場所も「あの辺りらしいぞ」と言う程度の情報しかありませんでした。
ある日、極真の道場があると知った少年は意を決して京極東宝ビルに向かいました。間違いなく、ビルの看板には「極真会館芦原道場京都支部」の文字が… しかし目立ったスポーツ暦もなく、ケンカにも自信のなかった少年は、漫画や映画で描かれた地獄稽古を思い出し、練習を見学することも無くビルを後にしたのです。

「これではイケナイ!」一年後、再び意を決した少年は京極東宝ビルへ向かいました。「あれ?」看板は「芦原会館京都支部」に変わっていました。「芦原と言えばケンカ十段・芦原英幸のことかなぁ。でも極真空手の道場じゃないやん?」少年は今年も見学せずに家に帰りました。

「アカンやん!強くなるんやろ?」一年後、また意を決した少年は京極東宝ビルへ向かいました。「あ?」看板は「正道会館京都支部」に変わっていました。結局、少年はそのまま家に戻り、とうとう空手を習うことはありませんでした。 お終い。

今で言う都市伝説みたいなお話です。しかし100%作り話でもないようで、当時京都支部に通っておられた方のインタビューに「行く度に看板が変わってた」てな逸話が載ってたりしてましたから…
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※京都道場跡地。難波道場に続き、芦原道場も姿を変えていきます。
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by osaka-kenyukai | 2001-01-03 00:00 | 拳友会とは?
分裂当時の事情②大学同好会について
芦原道場は極真会時代、関西の大学に結構な数の同好会を持っていました。
もちろん広めたのは石井館長です。
「君、大学生?」
「はい、○○大学です。」
「そう、じゃぁ代表になって同好会やらない?」
「えっ?ボクまだ色帯なんですけど…」
「大丈夫、大丈夫。僕が指導に行くからさ~」

こんな感じで同好会を増やして行った、とインタビューで読んだ記憶があります。

大学同好会と言えば、湊谷コーチを輩出した名門・大阪芸大角田最高師範が属した関西外大≪実戦カラテ同好会≫が有名ですが、龍谷大学の様に芦原と正道、両方の流派が同じ学内に存在する例は少ないようです。
(厳密には龍谷大学には正道会館同好会は無かったのですが)

関西の大学同好会については、芦原道場を退館したばかりの頃に石井館長から召集がかかって「一年後には君たち、正道会館に来るんだよ」みたいな話があったらしいです。
なのに何故龍谷大学同好会は全員が正道館に移らなかったのか?
それは当時のリーダーが「石井さんから召集があったけど、他に用事があったから行かなかったから」だそうです。

先輩から言い伝えられている話なので、伝言ゲームみたいにどっかで話が変わっていて真偽のほどは確かではありませんが…昔から拳友会はいい感じに脱力したサークルだったようです。
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by osaka-kenyukai | 2001-01-02 00:00 | 拳友会とは?
空手にまつわるお金の話
芦原道場の関西進出に於いて功績大の石井館長、「空手バカ一代」の二宮(のモデル?)こと二宮博明師範芦原道場関西の看板選手であった中山猛夫師範伊藤浩久師範
錚々たるメンバーが芦原道場を去った事情について、様々な憶測・噂が飛び交っていますが、真相を知る人に出会ったことがありません。

また、石井館長のプロフィールには必ず「極真会館芦原道場を円満退館」と書かれていますが、その割りに拳友会の中では「芦原会館と正道会館が一緒に練習してるのは内緒だゾ」と言う空気がありました。

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※出てスグ書店に買いに走りました!芦原道場時代のエピソード満載です。

唯一、当事者の証言が読めるのが2009年に石井館長が著した「空手超バカ一代」であります。詳しくは本を読んでいただきたいのですが、思いっきり要約すると、
◎石井館長が会社を辞め、空手指導に専念した時の芦原道場の月給は10万円であった。
◎暫くはガマンしたものの社会人時代より低い給料での生活が厳しく、意を決して芦原館長に値上げをお願いした。
◎結果、1万円上げてくれて11万円になった。
◎ところが芦原館長は、石井館長以外の関西地区の幹部に対し、「石井は金のことを言い出した。奴は危ないよ」と吹聴した。
◎納得いかない関西地区の幹部は、石井館長のその事を報告し、「独立して関西でやりましょう」と進言したが、石井館長は自分一人芦原道場を辞めた。

その後、いきさつを知る関西の支部長クラスが正道会館に移籍した、と言う感じですかね?
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これを読んだ時は
「そうだよな~中国地方まで空手教えに行って月給10万円じゃな~」
と思ったのですが…最近、ふと気になって調べてみました、当時の大卒初任給。ソースはネット検索で出たモノなので、正確度はいかがなモノか不明ですが、
昭和50年=大阪に芦原道場を開設した年 ¥83,600
この時はまだ空手専業ではなかったようですね。職員になった時期については記載がないので、年月毎に追っていきますと…
昭和51年 ¥94,300 
昭和52年 ¥101,000
昭和53年 ¥105,500
昭和54年 ¥109,500

う~ん、当時の水準から言うと月給10万って大卒初任給レベルだったようですね。それじゃあ悪い金額では無いような気も…。
石井館長は会社勤めの時はもっと稼がれていたようですし、当然ボーナスも無く、且つ「ケンカ十段」の下で働くには対価として妥当かどうか?とも思いますが。

ちなみに正道会館の誕生した昭和55年の大卒初任給は¥114,500となっております。この時期、石井館長中山師範に月給30万払っていた、と言う話が「一撃の拳」なる本に書かれていましたが、これは確かに破格!
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※松井館長の半生を書いた本ですが、石井館長について書かれた箇所も。

「ウチの職員になるならこれだけ出そう!」石井館長が片手を広げたのを見て月給50万か、と佐竹氏が思ったのも仕方ないか。
で、佐竹氏の給与は当初月額5万円だったとか。(佐竹氏の著書、「まっすぐに蹴る」より)
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※ある種暴露本?文体は聞き書きっぽいですが、書き手が暴走したっぽい(笑)

この金額、一方の言い分ゆえ、真偽のほどはわかりませんが佐竹氏が正道会館の職員となった昭和63年の大卒初任給は¥153,000だそうです。
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by osaka-kenyukai | 2001-01-01 16:53 | 拳友会とは?
そもそも芦原道場 大阪支部とは…
普通に考えますと、四国・愛媛支部の分支部が大阪、京都、神戸、岡山、広島などに出来るとは不思議な感じがしますが…
例えば○○社の愛媛支店が、本社より先に大阪支店を開設するなんてことが一般社会ではちょっと考えにくい話ではあります。

石井館長が大きく広めた関西地区の芦原道場は、そもそも極真会館に認可されていたのでしょうか?
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※石井館長と第1回大会準優勝の前田師範

これも諸説ありまして、当時の事情に関して私などは知る由もないのですが、当時石井先輩・中山先輩率いる極真会館・難波・芦原道場に通っていたと言う大先輩から貴重なエピソードを伺うことが出来ました。
実は大山総裁が大阪・難波の芦原道場を視察に来られ、その場に居合わせた、と言うのです。
そう言えば『大山倍達とは何か?』と言う本の中で石井館長が芦原道場時代のエピソードとして、

『芦原先生から、大山総裁が大阪へ行くと連絡を受けた』
『ただ、来るか来ないか直前にならないとわからない』
『関西の道場生を出来るだけ集め、お迎えするように』


との無理難題を言われ、夏休み前の小学校のように有事の際の電話連絡網でもって無事大勢の門下生で大山総裁をお迎えした、と言うエピソードが載っていました。大先輩の仰る『大山総裁をお迎えした』日と言うのは、この時のことなのでしょう。

大先輩曰く、大勢の門下生による『押忍!』の大合唱に包まれた大山総裁は大そうご満悦で、左の下突きを繰り出しながら、あの独特のイントネーションで
『コプシ(拳)だよ、コプシィ~』
(前後の意味は不明)と仰られたそうです。
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その時はご機嫌だったとしても、最終的には永久除名処分にしちゃってますから、実際のところ総裁がどう思われてたかは分からないですね。
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※第一回大会では、ビール瓶切り演武のアシストを芦原館長が務めたほどだったのですが…
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by osaka-kenyukai | 2001-01-01 15:52 | 拳友会とは?
芦原会館誕生、正道会館誕生
芦原館長の著書「空手に燃え空手に生きる」には1980年3月の支部長会議の際に「あと一年で辞めさせて欲しい」と自ら宣言されたと言う記述があります。
にも係らず、半年後に極真会館から永久除名処分されて芦原会館設立に至ったわけですが。
極真会館側の永久除名の理由は
「8年間の長きにわたり、極真会館道則・支部規約に違背し事ある毎に本部の指示に従わず、再三にわたる警告も無視し反組織的行動を更めることがなかった。」
支部規約違反とは他府県に本部の認可なく支部を開設したことを指していると思われます。
酒席に於ける支部長に相応しくない振る舞い極真会館の機関誌パワー空手のには除名理由に挙げられていました。あいたたた…)
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これ即ち関西一円に広がった極真会館・芦原道場が総本部無認可だったと言う話なんですね。
ただ、大山総裁が大阪へ視察に来られ、大勢の道場生に迎えられてご満悦であったと言う前述の証言もありますし、全日本大会のも中山・伊藤・前田師範など後の正道会館師範クラスのメンバーが関西から出場を認められていました。今で言うグレーゾーンだったのでしょうね。ところが全日本大会に出場している関西の芦原道場の選手で極真会館の有段者名簿に名を連ねていない人が多数いたそうです。例えば前田比良聖さんは登録されていますが、中山・伊藤両師範の名前は記載されていなかったとか。不思議ですよね。
下は芦原道場の入会申込書です。フォーマットは芦原会館のものとほぼ同じですね。
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そして注目して欲しいのが、これ提出先は極真会館 芦原道場 師範 芦原英幸殿であって、極真会館 大山倍達館長では無いのですよ。

そして芦原道場の会員証。もうデザインは芦原会館のと一緒と言っていいでしょう。
ここにも師範 芦原英幸のサインはあれど大山倍達の名前はありませんね。
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こちらはスポーツタオルです。
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こうしたオリジナルグッズだけでなく(前に写真を載せましたが)空手着も自分のところでオリジナルを作っていたようです。
また、技術的にも次第に芦原道場の独自色を打ち出していったようで、パワー空手には芦原道場から関西本部道場に転向してきた生徒の感想として
芦原道場では基本も本部と異なり、またキックボクシングの様な空手を教わっていた...」
と記事に書かれていたそうです。
反組織的行動について真樹先生の著書によると支部長会議でも大山館長の意見に再々異議を唱えていたとか、都市伝説ですが極真会館相談役に向かって
「オイ、何でヤ○ザがココにいるんだよ?」
と発言し、激怒した大山総裁が灰皿を投げつけようとしたとか…
こうした事が積み重なって多分2人の関係は修復不能になっていったのでしょうね。察するに着々と独立の準備を進めておられたのではないでしょうか?

極めつけが下のポスター。極真時代のポスターですが、
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既に芦原会館と記載がありますね。しかも、道着の胸刺繍と同じ字体で。
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マークはこんな感じ。もちろん芦原会館のマークは独自の4つのステップを表したデザインなんですが…ぶっちゃけ似てますよね?
そして組織名も国際空手道連盟から新国際空手道連盟へ。
技術的にはオリジナルなものを徹底追及しながら、やはり極真会館は強く意識されていたのではないでしょうか?

さて、これまた謎の多い正道会館誕生の経緯です。石井館長のプロフィールには極真会館 芦原道場を円満退館とだけ書かれていましたが、空手超バカ一代でおそらく初めて退館の理由が明らかにされました。月給の値上げをお願いした所、芦原館長石井館長には内緒で関西地区の指導員たちを四国松山に召集し
「石井は金のことを言い出した。アイツは危ないよ。石井を外してこれからはお前たちだけで関西を運営して行け」と。
この話に納得出来ない指導員たちが石井館長に伝え、辞意を伝えた…と。
その後、芦原館長から
「石井、30万出そう」
「石井、他の連中は辞めてもお前だけは残ってくれ」
「石井、50万でどうだ?これ以上は出せないよ」

等々必死の慰留があったけれど石井館長の決意は固く退会しました。
最後の審査会では他の黒帯が出席せずに100人近い受審者を相手に一人で組手の相手をした… 読んでる時はちょっと涙腺が弛みましたねぇ…。
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しかし「一撃の拳」なる本には石井は何とか自分だけでも極真に残れないか、と懇願したが受け入れられずに自流を立ち上げる他なかったとあります。ムムム…真偽は確認出来てませんが、立ち上げ当時の名称が極真空手教室 正道館だった、との情報もあります。
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以下、拳友会に伝わる正道会館初期のお話です。
退会した時には一人ぼっちだった石井館長。しかし芦原道場関西地区の指導員、大学の同好会代表を秘密裏に召集し、
「一年経ったら正道会館に移れ」
と言う約束を交わした。過去のインタビューで石井館長
「弟子たちが移籍したいと言って来たが、急に大勢いなくなると芦原先生が困るから一年間先生にお預けしていました」
と発言されていた記憶があります。
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※この時のインタビュー記事ではなかったかな?今は手元にないので…
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独立当初は正道館と大阪の芦原道場(後の芦原会館関西本部)とは友好的な関係にあり、正道館が最初に開催した西日本大会には大阪芦原会館から選手が出場し、他にも・裏方として協力してたとか。また当時芦原会館に残った中山師範が長期出張等で不在の時には正道館から有段者が指導の応援に来ていた、と言う情報もあります。(真偽未確認ですが)でも中山猛夫師範や京都の伊藤浩久師範正道会館に移籍し、それに追従して多くの生徒が正道会館に移ったのを契機に両派は絶縁状態になってしまいました。はぁ~…
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「流浪空手」を読むと中山師範を始め、当時の関西の指導員の皆さんに芦原館長が大きく期待していたことが伝わってきます。その殆どが正道会館に移籍してしまったわけですから、ケンカ十段の怒りたるや相当なモノだったと思われます。

芦原館長の告別式に出かけた石井館長ですが、
「故人の遺志で…」
と参列を断られた、と格闘技通信にはありました。
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※こちらはゴング格闘技です。
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近年ではK-1甲子園芦原会館(西山道場)の選手が参戦するなど交流も始まりました。
いい話であり緊張感が薄れて残念でもあり…複雑。 

芦原館長が永久除名になった時、ほとんどの門下生が芦原会館に移籍したのは、「極真会館の道場生」「大山の弟子」より「芦原の弟子」という意識が強かったからだと思われます。
同様に関西地区の門下生は審査会などで3~4ヶ月おきに来阪する芦原館長よりも石井館長に親近感を抱いていた人が多かったのでしょう。私が道着を買いに行った時の芦原会館・京都支部支部長は、新京極にあった京都道場が芦原会館から正道会館に変わった際に退会され、芦原館長・滋賀支部に移籍、その後芦原会館・京都支部を設立されたのでした。
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それから15年後、極真会館はもっと大きく分裂してしまいました。
空手の世界は複雑でございます。
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by osaka-kenyukai | 2001-01-01 15:51 | 拳友会とは?
拳友会辞典
拳友会遊戯に 飽きた 行き詰ったので、筆休めのコーナー。
ネットサーフィンで見つけた、龍谷大学合気道部OBによる裏龍気なるページがユニークだったので、負けじと立ち上げてみました。

【学食】
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大学内に多数点在した。よく利用したのは生協スペースの学食で、1階(定食中心)と2階(喫茶メニュー中心)があった。
2階にはテレビが設置されており、映画のビデオが放送されていたので午後の講義が休校となった時は昼食を2階で取り、映画を観ながらクラブの時間まで寛いでいた。

【2階で流れていた映画ビデオ】
レンタルがまだ一般的ではなかった80年代中盤、映画公開と同時または間を置かずにビデオソフトが発売されることが多かった。よって結構封切直後の映画が上映されていたのだが、今思えば海賊版も結構多かった。

【ビバリーヒルズ・コップ】
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エディー・マーフィの出世作。このビデオが流れた時、夏休みにイギリスへ単身旅行に出かけたT先輩が字幕が出る前にギャグに反応し大笑いしていたのを見て、「やっぱり英語は勉強しといた方がいいなぁ」と思って四半世紀過ぎた。だが私はほ今でも英会話が出来ない。

【ロッキー4/炎の友情】
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コレが放映された時は拳友会一同驚喜したものだが、トレーニングシーンでトレーナーがロッキーを励ます際に掛ける声
”No Pain!”
の日本語字幕があろうことか
『痛くない』
と言うド直訳であった。
(ちなみに正規版では『がんばれ』)
明らかに海賊版であった。

【ターミネーター】
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学食ではなく、学園祭で映画研究会がビデオ上映会を開いた。会場に14インチぐらいのテレビを置いてビデオを流しただけであったが、面白い映画はどんな環境で観ても面白いのであった。

【スタローン&シュワルツェネッガー】
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2人の黄金時代であった。スタローンの「ランボー」「コブラ」に対しシュワルツェネッガーは「コマンドー」「ゴリラ」で対抗、まるで動物園のようだ。映画界に「筋肉アクション」とでも呼びたくなるジャンルの映画を量産し、私のような「映画秘宝」を愛読するアクション映画好きボンクラを魅了した。
90年代にはこのジャンルの映画は絶滅したと思われたが、21世紀に突如当ジャンルの主演俳優が一同に会した「エクスペンダブルズ」(自虐的なのか題名は消耗品を意味する)で復活、続編まで製作された。21世紀になっても映画の中身は当時と全く同じであり、どうやって決着がついたか記憶にない。そこそこヒットした様で、このジャンルを好むボンクラは世界中に生息しているのである。
龍大在学中の4年間、結構コンスタントに2人の主演映画が公開されていた。

【ランボー/怒りの脱出】スタローン
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1作目でベトナム戦争帰還兵の悲劇を描いたとの評判(当時1作目は未見)だったのに、アメリカだったら何をやってもOK!的な80年代ならではの映画。
痛快アクション大作なハズなのに、もうアジア人蔑視の視線に満ち溢れていて爽快感はゼロ。序盤、パラシュートで降下しようとしてヒモが飛行機に引っかかり、装備を全部無くしてサバイバルナイフ1本で敵陣へ乗り込むお茶目さと、泥を塗りたくってかくれんぼするシーンはよかった。

【コマンドー】シュワルツェネッガー
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コマンド部隊なら聞いたことがあるが、なぜコマンドーと語尾を延ばす必要があるのか?
ランボーにあやかってるんじゃないの?と揶揄されながら実はかなり面白かったりする。
ランボーみたいに国家のためとか胡散臭い目的ではなく、誘拐された娘を救出する為にアメリカ国内でショッピングモールで大暴れするわ、銃砲店にブルドーザーで突っ込んで銃器を盗むわ、空港でCAを拉致して無理やり協力させるわ、悪役(小者)に「お前は一番最後に殺す」と言っときながら「あれは嘘だ」と言って最初に崖から真っ逆さま…いやぁ痛快。
今でもテレビ放送(2時間枠でノーカット放送出来るくらいの尺)される度、ネットの検索数が急上昇するらしい。

【コブラ】スタローン
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マリオン・コブレッティ、通称コブラ…そんな無理やりな…
無名時代に苦労を共にした前妻とは離婚し、再婚したモデルのB.ニールセンとロッキーⅣに続いて共演。
「あんな女、財産目当てに決まってるやん」
と言う世間の期待通り、ほどなく離婚した。
あ、映画は90分弱なので気軽に観れる。

【ゴリラ】シュワルツェネッガー
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コブラと同時期に公開。もうタイトルだけで観に行く気が失せた。
ラオウは観に行ったらしい。
原題はRaw Deal=「不当な取り扱い」だが、このDVDパッケージ写真は何故か左右が逆(裏焼き)。まさに不当に扱われている。
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そう言えばコマンドー(DC版)のDVDジャケットも左右が逆だ。仕事が雑だなぁ。
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最初に発売されたのが正しいが…
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何故かディレクターズカット版で左右反転して…
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吹替完声版とやらで再度修正。

【オーバー ザ トップ】スタローン
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映画館に行く前の「多分こういう展開の作品だろう」と言う予想から全くはみ出ることのない内容だった。
社会人になって新人研修の時期にテレビ放送され「一応録画しとくか」ぐらいの気持ちだったが、劇場の時より結構面白く観れた。
ラオウは売店でキャップ(映画の中でスタローンが被る)を買ったそうだ。
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【プレデター】シュワルツェネッガー
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エイリアンをジャングルに放りこんで、コマンドーと戦わせたらと言う
「オリジナリティの欠片も無いなぁ」と思わせる作品。
とか言いながら劇場へ足を運ぶ自分は本当にバカだと思う。
これまた「多分こういう展開の作品だろう」と言う予想から全くはみ出ることのない内容だった。いや、プレデターのデザインがガッカリしたのを覚えている。
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↑この写真、結構カワイイ(笑)
社会人になって新人研修の時期に、オーバー・ザ・トップの次週にテレビ放送され「一応録画しとくか」ぐらいの気持ちだったが、劇場の時より結構面白く観れた。
この手の映画はTVで観ると魅力が増すようだ。
そんな人が多いのか、続編はもちろん、本家エイリアンと対決するシリーズまで作られ、21世紀まで生き延びている。

【レッドブル】シュワルツェネッガー
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ハリウッド映画がモスクワでロケをした、画期的な作品。ロシアとアメリカの刑事が反目しながら共通の敵を追うと言う、当時の社会背景が伺える作品。
冒頭サウナシーンでのシュワちゃんの筋肉が圧倒的。是非テルマエロマエに出てほしい。

【ランボー/怒りのアフガン】スタローン
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みんなの期待通り、B.ニールセンとの離婚問題で自暴自棄になったスタローンが「死んでもいい」と思って撮った作品なのだそうで。おかげでアクションシーンは迫力満点なのだが、身を隠す場所もない荒野で、上官と2人(スタローンは上半身ハダカ)ヘリコプターやら戦車部隊に戦いを挑むなんてリアリティ無さすぎやろ!
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それでもこの年の洋画部門最高興収を上げたとか。その割りに公開から1年ちょいでテレビ放送され「一応録画しとくか」ぐらいの気持ち…(以下同文)

【ジャッキー・チェン】
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最近では「どうしちまったんだ、ジャッキー!」と劇場で呟いてしまうことも多いが、80年代中~後期に製作した映画の面白さは現在も全く色褪せない。私の浪人~大学時代はジャッキーと共にあった。
そんなジャッキーの映画が高画質DVD1枚¥1,000で手に入るなんて、良い時代になったものだ。
以下、大学時代に観たジャッキー映画。

【プロテクター】
映画を観た後、拳友会の稽古に参加。観たのが7月だから空手を始めて1ヶ月ぐらいの時だったのだが、その日のスパーリングは「普段より動きがいいぞ」と誉められた。
これがジャッキー効果なのだろうか?

【ファースト・ミッション】
ジャッキー・チェンの映画と言えば東宝東和と東映が配給していたのだが、松竹富士配給と言う珍しい作品。当時の宣伝マンによると、香港の製作会社から企画の段階で売り込みがあり、ジャッキー人気に乗っかって先物買いで契約したそうな。内容に全く関係の無い日本題名と公開日は決まっているのに、一向に撮影済みフィルムが届かなくて焦ったとか。
期待せずに観に行ったのだが個人的にはハマった。
主人公の置かれている状況と自分を重ねて泣きそうになった。今はもっと主人公に近い状況になっている、何とかならんかなぁ。
秀逸なのがラストのアクションシーンのカメラワーク。

【ポリス・ストーリー/香港国際警察】
ラオウが大阪に遊びに来るというので、その時に今は無きOS劇場で揃って鑑賞。
「プロジェクトA」に勝るとも劣らない傑作との前評判だったけれど、全編アクションとギャグ満載だったプロAに比べると今ひとつ盛り上がりにかけるな~と思っていたら、クライマックスのデパートでの大暴れシーンのまぁ凄かったこと。シネスコ大画面で観られたことは幸せだったな、ウン。
それまで香港映画に興味が無かったという桂文珍師匠がKBS京都のラジオ番組で絶賛していたのを覚えている。

【サンダー・アーム/龍兄虎弟】
撮影中の事故で頭蓋骨骨折の重傷を負い、「再起不能か?」と報じられたが1年後に作品が完成・公開された。しかも映画の99%は事故後に撮影されたシーンである。

【プロジェクトA2】
副題は省略。充分に面白い…んだけど、あの大傑作の続編にしては、ちょっと物足りないかな?
この作品あたりからアクションは小技が多くなって来てちょっと残念。

【サイクロンZ】
前触れなく唐突に公開された印象があるが、笑えるしアクションも凄いし、お気に入りの一本。
ユキーデがちょっと太っていたのが残念。

【九龍の眼】
「ポリス・ストーリー/香港国際警察」の続編であることを頑なに伏せて公開された。
OPは前作のダイジェストなのに…
ちなみにシリーズ3作目の邦題は「ポリスストーリー3」
4作目の邦題は「ファイナル・プロジェクト」
関連を売りにしたりしなかったり、よくわからん。

[ブルース・リー]
拳友会に入ったばかりの頃は「ブルース・リーの映画が好きで」なんて言ったら笑われるのではないか、と思っていたが意外にメンバーみんなリーやジャッキーファンだったりするので驚いた。一度ラオウが「映画のBGMをテープに録ったのあるから貸すよ」と言われ家で聴いたら3年前にFMで放送された映画音楽の特集番組であった。ちなみに私もその番組をエアチェック(死語)したテープを持っていた。3年前、遠く離れた場所で同じ番組を聴いて(しかもテープに録音していた)人間が偶然出会い、今は一緒に空手の稽古をしている。何だか不思議な気持ちになったものである。

【ベストキッド】
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ジャッキー・チェンによるリメイク版ではなく、ラルフ・マッチオ主演のオリジナル版を指す。どっから見ても弱そうな主人公よりも、途中で敗退する連続旋風脚を見せるヤツの方がよっぽど強そうだ。
龍谷大出身ではないが、横浜で頑張っている空手友達は正道会館・芦原会館はもとよりキック・合気道・柔道などなど武芸百般と言うか色々な武道を(少なくとも有段者になるまでキチンと)習っているのだが、最終的には【ミヤギ流空手】を極めたいそうだ。

【映画のサントラ盤】
レコード盤とCDが混在していた時代。映画のサントラ盤といえば「スター・ウオーズ」のようなオーケストラ演奏かシンセサイザーによるものが中心だったが、83年の「フラッシュダンス」以後全曲唄入りのサントラが中心となった。
我々85年入会世代にとって前出の「ロッキー4」と「トップガン」のサントラは自主トレーニング時には外せないマストアイテムだ。
この手のサントラの難点は「こんな曲、映画で流れてた?」と言う楽曲が多数混じっていることだった。

【キ○ンのサ○フブレイク】
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ポ○リスエットやア○エリアスと比べるとマイナーではあったが、学食の紙コップ式自販機に置かれていたスポーツドリンクである。
ケンシロウ先輩が練習後に好んで飲んでいた為、「あれを飲んでいればムキムキになれる」と言う都市伝説が生まれた。

【自販機の蟻】
現代では見られないが、自販機内のシロップを求めてか蟻が侵入していることが多々あった。紙コップを手にしたが蟻のお陰で飲めずに捨てることも再三あった。

【炭酸禁止令】
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ケンシロウ先輩曰く「炭酸飲料は骨を弱くするから禁止」
だが、練習後のコーラの味は格別だ。一時期ケンシロウ先輩に隠れて炭酸飲料を飲んでいたタツヤは、道場稽古でアバラを折られてしまった。炭酸飲料との因果関係は不明である。

【プロテイン】
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たんぱく質の粉末である。飲めばムキムキになれる訳ではないが、何故か学生時代はステロイドと同義語のように思っていた。とんでもない誤解である。
ケンシロウ先輩に「やっぱり先輩はプロテインとか飲んでるんですか?」と尋ねたら「いや、飲んでないよ」と言う答え。しかしケンシロウ先輩の追い出しコンパの日、終電を逃して泊めてもらったケンシロウ先輩の下宿にはザ○スのプロテイン缶が山のように積まれているのであった。先輩の嘘ツキ!

【15号館の学食】
今は無いらしい15号館1階の学食。愛想のよいオバチャン今もお元気ですか?
カレーのルーが濃厚で長時間胃の中に滞留するため、食べる時間を間違えると練習で地獄を見るのであった。

【カフェテリア】
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87年、新設なった美麗な校舎の地下に現れた新しい学生食堂。
○○定食などと言う野暮ったいネーミングを廃し、カフェメニューが充実していたので、「ウチの学校の何処にこんなに女子学生がいたのか?」と思わせるほど女子率が高かった。
女子好きの私や、オシャレなクロベェ先輩のお気に入りの場所であったが、注文の際パスタのことを「たらこスパゲティ」と言って失笑を買ったのも今では良い想い出だ。
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【飯島真理さん】
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学園祭のライブゲストとして登場。テレビアニメ『超時空要塞マクロス』のヒロイン、リン・ミンメイの声優と劇中歌で有名になった彼女だが、アーティスト志向の強かった本人の理想とミンメイのイメージを抱き続けるファンの間でご本人は大変な葛藤があった様で、「『マクロス』やリン・ミンメイに関しては色々な思いがあります。自分の中で受け入れては解放し、受け入れては引き離し……というプロセスの繰り返しだったんですよ」と語っており、一時はミンメイの顔も見たくないと思った時期すらあったそうだ。
それでも観客の要望に対し、マクロス劇場版の主題歌「愛 おぼえていますか」をアンコールで「しょうがないなぁ~ 歌ってあげる!」と叫んだ彼女は最高にキュートであった。

【芦原会館旗】
芦原会館設立時、芦原英幸館長から各支部・同好会へ寄贈された旗。龍谷大学同好会でも代々大切に受け継がれてきた。
(と書いて気付いたが、汚れもシワもない事から在学中4年間、一度もクリーニングはおろか洗濯もしていないことに気付いた。キレイだったから大丈夫かな?)
拳友会が活動停止した時に不用品として危うく処分される所を、後輩が学校側に事情を説明して無事保護してくれた。現在でも後輩の所属する奈良支部にて大切にしていただいているそうだ。(芦原会館奈良ブログに載っています)
それに引き換え、85年生の間で「なぁ、あの旗どうなったかな?」「う~ん、処分されたんちゃうか?」「勿体ないな~売ったらナンボくらいになったかな~」などと不謹慎な会話が交わされたと言う噂があるが、真偽のほどは定かではない。

【ダッシュ】
キャンパス内で50Mダッシュをよくやった。オショウがいつも速かったが、空手着でダッシュすることはお勧めしない。上着がはだけてゴールする頃には「イヤ~ン」と言う様な格好になってしまうからだ。

【イナゴン】
大学近くの伏見稲荷神社はランニングコースであった。その伏見稲荷に住むと言う怪獣の名前。もちろん誰もその姿を見たわけではなく、単純に語呂がよかっただけで全く意味のない話であると思われるのだが、今でも唐突に会話の中に現れることがある。

【MTV】
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正確にはSONY MUSIC  TV である。金曜23時30分から始まり、新聞には「放送終了時間未定」と言うアバウトさ。概ね26時30分くらいまでの放送だったと思う。「ベストヒットUSA」なら小林克也さんがMCを務めていてアーティスト情報やゲストを迎えてのインタビューコーナーがあったのだが、MTVは終了時刻まで淡々とPVをオンエアするだけという、人件費のかからない安上がりな番組であった。
しかも放送リストもなく、誰のPVが流れるか分からないのに放送終了までほぼ毎週観続けていた。
a-haの”Take On Me"のPVを初めて観た時は感動した。
段々とオンエア時間が短縮されて行き、ついに最終回を迎えた時に80年代は終わった、と痛感したものだ。

[マイケル・ジャクソン]
ご存知、キング・オブ・ポップである。PVについて言えば「BAD」よりも「スリラー」や「今夜はビートイット」の方が完成度が高かったように思うが、87年ごろによくクロベェ先輩と踊りをコピーしていた。ダンスが学校のカリキュラムに採用されるなんて、まさに隔世の感がある。
しかし「The Way You Make Me Feel 」の踊りはヒワイ過ぎやしないか、マイケル!
あ、そう言えば彼は士道館空手の高段者になったのだ。帯の授与式のために来日したが、アレは本物のマイケルだったのだろうか?
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[ホイットニー・ヒューストン]
「すべてをあなたに」を聴いた時はメチャクチャ感動した。マドンナよりはホイットニーが好きだなぁ。そんな彼女もMJ同様寂しくこの世を去ってしまった。
BSで復活した「べストヒットUSA」で追悼特集があった。小林克也さんの発音はホイットニーではなく、ウイットニー!やっぱ格好いいなぁ。

【ス-パージョッキー】
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熱湯コマーシャルでおなじみ、日曜お昼のバラエティ番組である。拳友会的にはやはりガンバルマンのコーナーに登場する格闘技の回がお楽しみであった。シュート・ボクシングと言う新しい格闘技を知ったのもこの番組だ。
しかし日曜のお昼に家でテレビを観ていたなんて、思い返す度に泣きたくなる。

【大学の教科書】
大学のテキストを専門に扱う小さな書店が第8トレーニング室の道路を挟んで真向かいに在った。普段は閑散としているのに前期後期のスタート日には押すな押すなの大繁盛。しかし大学のテキストと言うのは何故普通の書店には置いてなくて値段が高かったのだろう?やたら表紙が立派で重たくて仕方がない。その上分厚い本なのに半年や1年かけて講義するのは1章だけだったりする。真面目に買ったけれども今では手元に一冊も残っていない。

【図書館】
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蔵書の中に何故か「戦士―キックボクシング20年史」と言う写真集があった。
恐らく閲覧したのは私とクロベェ先輩とミャ~クンぐらいのものだろう。
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【難波】
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大阪・ミナミの繁華街。極真会館芦原道場生誕の地であり、言わば拳友会のルーツでもある。現在も大阪府立体育館や格闘技ショップ・イ○ミ大阪店、マー○ャルワールド大阪店など大阪格闘技のメッカとして足を運ぶことも多い。
地方出身のF先輩が初めてかの地を訪れた時、大声で「ほ~、これが難波か」と叫び、ケンシロウ先輩はたいそう恥ずかしかったと当時を振り返る。

【少年ジャンプ】
この時代、大学生の愛読書。講義中、教科書ではなくジャンプを広げる学生も多かった。月曜が祝日の際は土曜日に発売日が繰り上がるのがちょと嬉しかったりする。
ちなみに私は2回生の前半で買わなくなってしまった。「北斗の拳」でラオウが倒され新章に突入して面白く思えなくなったからだ。それ以来、小学校高学年から続いていたジャンプを読む習慣が無くなってしまったため「ドラゴンボール」「スラムダンク」「ろくでなしBLUES」「ワンピース」などには全く馴染みがなくて困っている。
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【メンズノンノ】
1986年に創刊された男性ファッション誌。創刊号はまたたく間に完売し、本当に店頭に無かった。男がお洒落をすることがフツーになった時代を迎えたのである。ポパイやホットドッグプレスすら手にすることの出来なかった自分などにすれば「嫌な時代になったものだ」と言う感想しかなかった。

【阿部 寛さん】
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メンズノンノのモデルだった。1964年生まれだからズバリ同年代である。「神様は不公平だ」と多くの男子を嘆かせた(はずだ)。映画やテレビドラマで見せるユニークなキャラは今では大好きだ。

【DCブランド】
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デザイナーズ・ブランドの略だそうだ。もちろん自分には縁がなかったが、和尚は持っていてかもしれない。「どうせ社会に出たら毎日スーツ着るんだぜ」と言うのはあまりにも悲しい言い訳だと今なら言える。

【ビデオデッキ】
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市場には出回って一般的にはなっていたが、HiFi音声となると10万円代であり当時はなかなか手の届かない高嶺の花であった。オマケにビデオテープも120分で1,000円ぐらいした。この記録媒体に関しては、今日までのわずか20数年で恐ろしく進歩したと思う。
 
【レンタルビデオ】
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個人商店規模の店舗が大多数で、新作1泊2日800円とかレンタルも高価だった。まさか「T」マーク一色に染まろうとは、大学時代想像も出来なかった。
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by osaka-kenyukai | 2001-01-01 00:00 | 不定期更新・拳友会辞典