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審査会での芦原英幸館長その②
試合について極真会館時代、道場では試合を考慮しない技術を追求しながらも、積極的に全日本大会には生徒を出場させていました。
大道塾の黎明期には選手を出場させていたのも有名な話です。 芦原会館になってからは大会を主催することもなかったので巷では芦原会館は試合否定派と捉えられる事もありますが、決して大会批判はされていませんでした。 ※優勝した二宮選手の帯下には「芦原道場」とマジックで大きく書かれています。前年準優勝した中山選手も同様でした。極真会館の支部でありながら、「芦原道場」との意識が強かったことの現われでしょう。 『サバキをルール化するのは、ちょっと無理かもしれんなぁ』 『やるんなら極真とはハッキリ違うのをやらんと意味ないけん』 『大会っちゅう目標がないのはアレだよなぁ。君たち(道場生に向かって)スマンなぁ』 『だから(極真や正道の)大会に出たい気持ちはようわかる』 『その代わり、出るなら優勝しろ。その位の覚悟と練習しとかんと、相手に失礼やぞ』 『緒戦で負けるようなら出ん方がマシよ』 後に最後の言葉は私の胸に深く突き刺さるのですが… 元・極真全日本王者 大西靖人氏(故人)が開催した顔面素手掌底ありの大会が有りまして、どういうルートだったか記憶に有りませんが、無料招待券が廻って来て87年の大会を観戦に行きました。 会場でパンフを見ると芦原会館所属の人が出ていました。(公開他流試合を謳っていた大会なので、しっかりと流派名が出ていました。) 審査会で出場していた門下生を見かけた館長が一言。 「あんな大会に出んと、もっと稽古しろよ、お前!」 はて、何処から情報を仕入れておられたのか? 対外的には興味が無い様な発言をされながら、極真の大会はビデオなどを通して最新の映像をチェックしていたみたいです。 85年~87年にかけて、極真会館は松井・増田・黒沢の三強時代となるのですが、芦原館長も高く評価していたようです。 三強の中でも特に 『松井の動きはサバキやけん』 『何と言っても、松井が尊敬しとる空手家は二宮じゃけんなぁ』 と、松井章圭氏の代名詞でもある合わせ技の評価、また極真空手の機関誌、『パワー空手』の選手名鑑の中で、松井章圭氏が尊敬する空手家として虞山初雄氏と並んで二宮城光師範をあげられていることについて仰られたのをこの耳で確かに聞きました。 ※翌年は何故か虞山初雄氏のみになっていました。 て言うか、芦原館長、『パワー空手』読んでたんだ… (続く)
by osaka-kenyukai
| 2001-12-31 22:43
| 連載:拳友会遊戯
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