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> 拳友会メンバーの話 in 1986 ②
引き続いて芦原メンバーからミャ~クン四天王が入学以前に空手経験があるのに対し、私同様未経験で入会して来たのが彼。四天王との組手では「まぁ押されてもしかたあるまい」って気持ちが多少なりとも有ったのですが、こと彼に関してはキャリアもほぼ同じと言うことで先にハイキックでも当てられようモンなら、ムキになってタイマーが鳴るまでに同じ技を返そうと躍起になったものです。
当時他のメンバーには内緒で並行して合気道を習い、卒業後はボクシングジムに通っていつの間にやら大阪社会人アマチュアボクシングで優勝したり、旅行に出かけたタイで名門ジッティージムムエタイを学んだり… う-ん、やっぱり学生時代より卒業後の方がエピソードが多いぞ。
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※今はおおむね、こんな感じです。ちなみに美脚(細くて引き締まっている)との評判です。

ムエタイパンツにTシャツ、蹴りはキック流と言う現在の彼しか知らない人からみたら信じられないでしょうが、学生時代は割合オーソドックスな空手スタイルでした。
当初彼はキックパンツの下にトランクスを穿いていたので、稽古後床に大の字で寝転んで休憩していると近くでキックミットを蹴る彼の○○がチラチラ視界に飛び込んできて、気分が悪くなる被害者が続出しました。今ではボクサーパンツ着用のため、その様な危険は無い模様。

86年数少ない後輩の一人、アラタ君。同級生に連れられて何の予備知識もないままフルコンタクト空手同好会に連れてこられたと言う、自分ならスグに逃げ出したくなるようなキッカケでしたが「面白い」と思うと、兎に角のめり込む性格が良い方向に作用したのでしょうか講義には出ないが練習には来ると言う、私の悪いDNAを受け継いで気が付けばこの年入会唯一の生き残りとなり、芦原空手同好会リーダーも務めました。平成の世に入り拳友会は再び会員数も増え有段者を多く輩出するのですが、その礎はアラタとその次のリーダーT君がしっかりと築いてくれたのであります。
実は先日近くまで来たからついでにと久しぶりに野田阪神の練習場所に顔を出してくれました。
「懐かしいわぁ~何年振りっすかねぇ」
とか言いながらミットを蹴りますと、ブランクを感じさせないいい音させてました。驚くべきは60キロにも体重が満たないとは思えないその重さであります。忙しいだろうし野田までは遠いけど、タマにはおいで、勿体無い!

ヤッサンも良く組手しました。センスがよくて、得意の上段につなぐコンビネーションが抜群によかった。クロベェ先輩から
「いかにも上段を蹴るぞ!じゃなくて、意識を下に向ける様にフェイントかけてみな」
とアドバイスを受けたらスグに使ってましたから。よく右のハイが首の後ろまで巻きついたもんです。

ABさんはさすが少林寺拳法弐段だけあって、構えや技が綺麗でバランス良く動いてました。細く見えますが頑丈で、よくガンダムの受け役をやってくれました。

クロベェ先輩は愉快な思い出が多すぎて、ついついオチャラケた話ばかり書いてきましたが、練習も一生懸命してました。長いリーチを生かした蹴りはカミソリみたいな切れ味鋭くて、筋トレで鍛えた身体は今で言う所の細マッチョの理想系でした。

(続く)
by osaka-kenyukai | 2001-12-31 22:05 | 連載:拳友会遊戯