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【時間】第1~第4土曜日
19時~20時30分 【場所】子育てプラザ福島 4階 軽運動室 詳細は入会案内へ! > フォロー中のブログ
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大山総裁以外の空手家について
大山総裁の事もそうでしたが、芦原館長がご自身の胸の内ではどの様に思われていたかは分かりませんが、あまり人前で他の空手家といわれる人を誉めることがありませんでした。
●梶原一騎氏 空手バカ一代で有名にしていただいた恩のある先生、と言われてましたが私が入門した頃は梶原氏が編集者への暴行で警察に逮捕されるなどの事件があり、疎遠になっていたようです。 東京本部師範のインタビュー記事には梶原氏とケンカ別れをしていて、葬儀にも行きにくいから代わりに行ってくれ、と頼まれたとありました。 事件後、ちょっと筆の荒れていた梶原氏が 「ケンカ十段ってのは芦原のあだ名じゃなくて安田英治なんだ」 と発言した時は 「あの先生、何を言いよるんよ!」 と苦笑していた想い出が… ※たとえ、それが事実でも「ケンカ十段」と言えばやっぱり芦原英幸なワケです。 ●真樹日佐夫氏 晩年、サンデージャポンで日曜朝にお茶の間に登場していた真樹先生。義兄弟の契りを結んでいたそうですが、審査会では時折真樹先生をネタにされてました。 「私はマキじゃありませ~ん」 と言う審査会中のギャグに大爆笑し、 「おう、なんかソコ受けとるなぁ」 と言われたのは私とABサンです。 梶原ご兄弟も故人となられました。我々世代の男子は梶原劇画で大人になりました。残念です。 ●大山茂氏、大山泰彦氏 ※茂氏を足払いで倒した時の写真を先代が見せびらかし、茂氏が『オイ、その写真返せ!』と追いかけまわったと言うエピソードも(笑) 定説では、お兄さんの茂氏は尊敬していたけれど、弟の泰彦氏とは犬猿の仲だったとか。 梶原氏に煽られて酒の席から真夜中に 「俺より強いと言ったらしいな」 と館長の家に電話をかけてしまったことがある、とのエピソードを泰彦氏がインタビューで語られていましたが。 私が在籍していた当時に勃発したのが蹴り足ストッピング論争。 泰彦氏が、自派の技術ビデオの中で 「蹴り足ストッピング、あんな技は使えない」 との主旨の発言をし、ソレを知った芦原館長が激怒!芦原空手最初のビデオの70人組手の中で蹴り足ストッピングで思わずうずくまってしまう、本当に痛そうな門下生がいるのに 「出来もしないクセに出来ないと言うとは、俺だけじゃなくあの(ビデオでうずくまった)門下生にも失礼じゃ!」 と大噴火。 当時出版されたUS大山空手の技術書について 「買ったやつ 手上げてみ。」 2~3名手を上げると 「そんなモンやろなぁ。て言うか、あんな本買うヤツが居るンやなぁ」 私、実は装幀がなかなか格好良かったので購入しようかどうか迷っていたのですが 「買わなくてよかったぁ」 もっとも定価が実戦!芦原カラテの倍、¥2,500だったと記憶してますから 「高ッ!」 とも思ってましたし…それに、不思議なサイズで本棚に入れにくいのですよ。 後に復刻版まで出ましたけれど。 ●これが本棚泣かせのパーフェクト空手 ●中村忠氏 茂氏と並んで芦原館長が誉める先輩。もし極真空手に残っておられたら、2代目館長はこの人だったであろう、とも言われるお人柄だったようなんですが… ●あぁ「人間空手」… この初めての著作の中で 「大山道場時代、私が懇意にしていた大学の空手部が出稽古に来た際、血気盛んな芦原がめちゃくちゃにやってしまい、交流が途切れてしまった」 と書かれていたからさぁ大変。 「何が血気盛んだよぅ。他流が来たら必死になって当たり前だろう」 とまたまた大噴火。月刊空手道の記事で誉めていたばかりなのに 「あんなこと書くなら、もう応援するの止めた!」 それにしても忙しい中、他流の本やビデオを本当に細かくチェックされてたんですねぇ。 ●東孝氏 極真時代、あまり接点がないように思っていたのですが、初期大道塾の大会に生徒を出場させていたとか…。 ●石井館長については… 当時の正道会館のフレーズ、常勝軍団や勝つための空手に対して 「一回も試合で勝ったことの無いヤツが、何が勝つための空手だよ~」 いや、実際正道空手は強かったし、名選手が名監督になるとは限らない。逆もまたしかり… 選手と指導者としての力量は別モノでは? なんて口が裂けてもいえませんでした。 (続く)
by osaka-kenyukai
| 2001-12-31 21:44
| 連載:拳友会遊戯
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